人生のシナリオ


人生のシナリオは、自分で決めて生まれてくる。
だからもちろん、誕生日も自分で決めて生まれてくると思う。

お誕生日に祝ってほしいというわけじゃないのですが
(むしろ本当に物は何も欲しくないのです)
今日は最初に誕生日の話をしてみます。

僕の誕生日は7月2日です。
この日は1年のちょうど真ん中の日なんです。

それは小学生の頃から母に聞いていたので、昔から知っていました。
でも「へぇ、そうなんだ」くらいの認識。ずっとそうでした。


しかし数年前に
知人にこの話をしたら
「だからゆうゆうは中庸なんだね!」と言われて
あ、たしかに、、って思ったんです。

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2015年の3月、多分僕のなかで何かが変わりました。
この頃、精神世界の本を読むようになったのですが
別人格がやってきたような気がしています。
一人でいても一人でいるような気がしない。

で、この年のある日、部屋のなかで1枚のカードを見つけました。
それは小学生のとき通っていた塾でもらった誕生日のカードでした。

小6のときにもらったもの。

もちろんカードをもらったことは覚えていました。
テレホンカードが入ってたよなぁって。
でもカード自体に何が書いてあったかは全く覚えていなかった。

カードを開きました。
そこにはまずこう書いてありました。

あなたの生まれた日:昭和62年7月2日
あなたの誕生星:シリウス

え?シリウス?と思いました。
この頃は精神世界の本をいろいろ読んでたので
シリウスとかプレアデスとか、馴染みのある言葉になっていました。
(まぁ、星の話はよくわからんのだけど)

ただ、あまりにもシリウスは有名な星なので
多分、誕生星も星座みたいに12種類くらいあって
そのうちの1つがシリウスなんだろうなぁって思ったんです。

でも、調べたらそうじゃなかった。
誕生星はなんと366種類、1日ごとに割り当てられているものでした。

そして、そのあとには

「人は皆んな一人ひとり、使命を持って生まれてくるものです。
あなたもこれからの人生において、
自分の使命を思い出し歩んでいくことでしょう」

みたいなことが書かれていました。

これを見たときは、さすがに泣きました。
小6の1年間は、今思い出しても本当につらかったのです。
男子の輪にも女子の輪にも入れない。
完全に孤立して、成績も急激に落ちた。通学路を泣きながら歩いた。
塾では毎週末テストがあって、残酷なことにその成績順で翌週の授業の席が決まる。
5年生までは1,2列目にいたのに、6年生になっていつも最終列とかになって。

学校ではハブられて、塾では惨めな気持ちになって
プライドはズタズタになり、
自己否定の塊となっていた。

あの頃に、こんなカードをもらっていたなんて。

今も一人でいるとき、誕生日のことを想うと泣けてきます。
僕が地球に来て、すべてを忘れてしまっても
ちゃんと思い出せるように。

「見守っているよ」
「大丈夫だよ」

ということを思い出せるように
この日に生まれてきたんだと思うと。
今は忘れてしまっているけど、確実にいて、確実に見守ってくれている
見えない世界の大きな存在の大きな愛を
痛いほど感じます。

ずっと見守ってくれていたのに、完全に忘れていてごめんなさい。
今も思い出せはしないけど、確かにいてくれるということは、思い出しています。
だから僕はこの日に生まれたことが嬉しくて仕方ないのです。

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僕は、一般的な人間とかなり異なる感覚で生きていると思う。
まず男でも女でもない。恋愛感情もない。そういう世界に生きていない。
人間界の、性別という二元的な仕組みが怖い。

昔に比べたら随分マシになったけど、
この感覚は根強くて、正直なところ
今でもみんなといるとたまに
越えられない壁は感じます。

「自分とは違う生き物なんだ」
「だからこそ友達になりたくて地球にきてる」

という理解で腑に落ちてから、
すごく社交的になった気がします。

そもそも「好き」とか「嫌い」という概念も好きじゃない。
「どっちが好き?」とか聞かれると、
「どっちも好きですけど」って言いたくなる。
食べ物もそう。
「食べ比べ」とか、食べ物に失礼だなって思っちゃう。
勝手に食べて、優劣つけるなんて。
食べ物にも物にも全部、魂が宿っていると思うんだよね。
だから食べ物残すなんて絶対にできないし
昔は物も本当に捨てられなかった。

あと、物欲があんまりない。
多くの人が欲しがりそうな「家」とか「車」
いらなすぎる。
(家、っていうのはマイホームってことです)

自由でいたい。どこにいるのかわからない存在でありたい。
家、車、恋人、このあたりは皆(若い人は特に)欲しがるけど
意味がわからなすぎて、震えます笑。

仕事も何してるのかよくわからない人でありたい。
今この世に存在するあらゆる職業も、自分の肩書きにしたくない。
今メインでしている仕事なんて、この先ずっとやっていくつもりカケラもない。
何かの職業を肩書きにされるくらいなら、「無職」であるほうがよっぽどマシだ。

「誰(何)とも特別な関係でありたくない」というのは、人間だけじゃなくて
物や職業に対してもそうだな。と最近よく思う。

あと
これだけ見えない世界に想いを馳せていながら
「スピリチュアル」が苦手なところもあります。
陰謀論とか興味がなさすぎて、熱心に話されても全然頭に入ってこなくて
なんだかごめんなさい。

マスコミのいうことを鵜呑みにして洗脳されているマジョリティーの人たち、
そんな彼らに対して眉間に皺寄せて、ああだこうだ言う人たち。
どっちも「もういいよ」って思っちゃう。

「これは体にわるい!」「あれは危険だ!」みたいな話
最近よくある話題だと思うんだけど。
皆が熱く論争を繰り広げているのを見てても、全然楽しくない。

まぁ、そういうぽんぽこぽんな僕みたいな人が
少しいたっていいじゃないか。
死ぬときは死ぬしね。で、死ぬことは別に怖いことじゃない。
自分の感覚に従って生きてればいい。
自分の感覚、何よりも信じてるから。

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夜な夜なばぁ〜っと勢いで書いてみた。

あ、それで、最初に誕生日の話をしたけども。
先日、知人のカフェで手にとった誕生日の本で
自分の誕生日のページを見たら、あまりもドンピシャだったのだよ。

今世の自分のシナリオのキーワードは、
やっぱりコレみたい。


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