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舞台【骨と軽蔑】男性の描かれない戦争風景について

春が近づいている。
間違いなくそう思うのに、手のひらにヒラヒラと舞い落ちてきそうな「春」が指紋に触れる直前に風に飛ばされて遠くに行くような3月上旬です。
皆さんお元気ですか。

私の方は元気なんですが、家族がみんなインフルエンザになったり体調不良で入院したりで慌ただしいです。その不安定さも相まって、春を捕まえ損なっているのかもしれません。

そんな中、舞台を見てきました。
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチの「骨と軽蔑」。
キャスト:宮沢りえ・鈴木杏・犬山イヌコ・堀内敬子・水川あさみ・峯村リエ・小池栄子


日比谷のシアタークリエに華のある7名の女優さんが集まる舞台で、ポスターを見るだけでワクワクでした。棘と花びらだらけの巨大迷路に入るような、怖いのに誘われるという花束の引力。

客席が並ぶ空間から見える舞台装置がおとぎ話の空気感で、見た瞬間からヘンゼルとグレーテルになったような気持ちでした。

東の国と西の国に分かれて内戦が行われている世界。
その兵器工場を営む一家が中心に話が進みます。
社長である父は舞台に出て来ず、小説家の姉とその妹と母親、家政婦と、社長秘書、小説家の姉のファンの少女と、小説家の担当編集者の7名がキャストで、男性は気配は感じるのに一切舞台の上には出てきません。

✴︎これからご覧なる予定があるみなさんは内容に触れる部分があるから気をつけて!


軽快な会話のキャッチボールで進む群像劇で、いちばんの注目は舞台装置でした。
ヨーロッパの街と郊外の境目のようなところの設定なのですが、見える範囲に「家の中」と「家の周辺」が混ざり合ってマダラ状態で混在していました。

なにこれすごい。言葉で言っても伝わりづらいので、絵で描いてみました。

【記憶の中の舞台装置】緑の小屋は回転する仕組み。薪やワインの貯蔵庫がナイショの話をする場所として利用される。

板の目があるところにいれば「家の中」。
草の生えているところにいれば「家の外」。

長い紐のブランコに座ればローテーブルのそばでも「家の外」だし、川が流れていてそれを飛び越えたら「家の中」で、川に入ったら「家の外」。

そんなルールで展開していることがしばらく見ていて理解できたのですが、面白いのがリビングのローテーブルの下に草が生えていること。

リビングのソファに座って話せば「リビングでしている会話」で、
ローテーブルの上に腰掛けて話せば「家の外の石垣にでも座ってしている会話」。
ルールがわかってくると大変面白い。
こちらの読み取りがしっかりしてないと混乱しそうになるのですが、わかってくると「今は外で話してるのね」「今は家の中なのね」というのが一瞬一瞬で切り替わり、新しい快感がありました。


7名のキャストが女性で、作中に話題に出るのは2名の男性のみ。夫と父だけが周辺にいる男性として語られます(語られるだけで出てこない)。

ものすごく特徴的だったのが、この舞台の「戦争の状態」そのものでした。

物語のスタートから遠くで爆撃の音が聞こえてきて、その音はずっと継続して聞こえ続けます。内戦中だということは物語スタートからすぐわかるのですが、「市民の女も徴兵される」「子供が戦闘にメインで参加している」ということもすぐ語られます。

えっ。

えっ。と思う自分がいました。

市民の女性と子供が戦場に行かされる状態・・・・。

そしてそのことを作中では取り立てて特別なこととして語られません。「そんな世の中になるなんてねえ」というようなテンションでも語られません。普通のこととして語られます。

7人のキャストうちの一人が後半徴兵されるのですが、
「私が行った先で、東側に、(殺さなきゃいけない敵として)可愛い男の子や女の子がいたらどうしたらいいの?」
「私が(兵隊として)連れて行った西側の子供達が「ママに会いたい」と泣いたらどうしたらいいの?」と
震える声で自問するシーンがありました。

西側にも、東側にも、もう子供と女しか戦闘員がいないくらいの状況なのか、ということがわかって、それを「異常」と思う自分にハッとしました。

戦争でもう『男を使い果たした世界』なのです。
男を使い果たしても、つまり戦える男が壊滅的に死んでいなくなってしまっても、まだ戦争が終わらない世界なのです。

子供と女性が戦闘の中心になっても戦争が終わってないことを考えたことがなくてゾッとしました。
そして「まずは男が戦うもの」ということを大前提として捉えている自分にも気がついて、その残酷さにも恐ろしくなりました。

全然当然じゃないのに。戦争は男がするもので、男が殺し合うもので、男が失われたらどうにかして終わるもの、と思っている自分。

それがそうじゃないとなったらもう、自分の考えたことがない範疇すぎて、終わり方さえみんなわからない混乱が作中でも進行していました。

西側の兵器工場の家の女の話なのに、売れるからといって東側にもこの家(会社)は兵器を売り始めるのです。

その展開にも何重にも矛盾が差し挟まれていて、「お金のため・儲けるため」なら本当に大事なこと(自国の勝利や身近な人の幸福)と真逆なことさえするという人間の矛盾が明確に描かれていてクラクラしました。

両軍が子供まで戦場に押しやって殺していく状況で、どんな勝利があるのでしょうか?
その判断をもう誰もできてないということ。
その恐ろしさをまざまざと感じました。

戦争の爆撃の音が最初からずっと聞こえているのに、ずっと聞こえているからもう認識できなくなっていく…。客席に座っている私もその感覚に陥りました。
戦争状態が普通になってしまうと、もう変えられなくなるのです。

家政婦さん役の犬山イヌコが絶妙な距離感で客席に語りかける「日比谷の皆さん」に笑いつつも、その狭い世界の住人になることが、自国の戦争の音からもどこか距離を置いている劇中人物に重なる怖さ。

男性を一切描かずに限られた舞台の幅でこれだけの恐ろしさを描き出した手法に、大きなものをもらいました。その大きなものは、傷といえるような痛さを持って私の両肩に残ります。

男が駆り出される戦争だって「正常」なんかじゃない。
そのことを忘れちゃいけない。

女優7人の豪華さに目を奪われましたが、それだけではない舞台でした。
見られてよかったです。



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