その作ってきたものに意味はあるのか
全国のyoutuberの皆さん、note執筆をしているみなさん、ブロガーのみなさん、Twitterで日々つぶやいているみなさん、こんにちは。
別に仕事じゃない何かを作ってるとき、時々思うことはありませんか。
「こんなにコンテンツを一生懸命作って、保存してアップして、日々積み上げて、一体どうするというんだろう」
私はあります。
その筆頭がこれです。
保育園の連絡帳。
連絡帳とはそもそも子供の体調を保育士の先生に伝えるもの。ただそれだけのもの。それだけでよかったのに、「文章で色々書いてもつまらないな」と、ず〜〜〜〜〜っと1〜3コマ漫画を描いていました。
こんな感じで、同時に3人保育園に在籍しているときは毎日おのおの3冊の連絡帳を書いていました。
子供達がお昼寝の時間に連絡帳への返事を書くというのが保育園の先生のルーティンワーク。その時間に少しでも「ふふっ」と笑ってもらえたらいいな。それが私の原動力でした。
それ以外誰も見ない、別に子供たちも見ない(そもそも読めない)。
2年前から連絡帳がアプリになって文章で打ち込むのがメインになり、連絡帳絵日記も書かなくなったので大変楽になり、なんとなくそんなふうに頑張っていた日々を忘れていたころ・・・
棚の奥にしまい込んでいた連絡帳の、そのまた奥にしまい込んでいたディズニーランドのポップコーンバスケットを取り出すために連絡帳の入った箱を机に置いていたら、
いつの間にか長男のR君が読んでる。
めっちゃ読んでる。あの活字の嫌いなR君が。ギリギリ読めるのは鬼滅の刃と星のカービイ(小説版)のR君が。国語の成績で低空飛行を続けているRくんが。
付箋貼ってる
付箋を貼りすぎている
もう一度ご覧ください。この約40冊の連絡帳を。
ここに収められた、誰に受け取ってもらうこともないエピソードを「これ、おもしろいね」とたった一人、読んでくれた人がいる・・・・。
私の気持ちはラスコー洞窟の壁画でした。
2万年前後石器時代のクロマニョン人によって描かれたラスコー洞窟の壁画。壁画を描いたクロマニョン人の気持ちがわかるなんてどうかしていますが、壁画にしたいほどに「絵を描くのが好きだった。その対象が好きだった。どうしても残したいと思った」のだったろうと、今の私はわかります。
この絵が、この行動が、誰かに届くなんて思いもしなかったのに、届いた瞬間思うのです。ニコニコと笑いながら真剣に読んでくれているRくん。ああ、この時のために描いていたんだ。
思えば、私の福岡の実母もノートに書いていました。子供たちとの思い出の日々を。
飲食店の女将としてずっと働き続け、その中で育児しながら書き続けていた言葉の束。18歳で進学のため私が実家を出るときにその分厚いノートをもらいました。そこには両親の出会いのエピソードから兄弟3人分の18年間の思い出が書いてあって、飛び立つ飛行機の中で読んでアホほど泣いた記憶があります。
兄弟の中で一番最初に家を出たのが私だったから、母はそのノートをくれたのだと思ったのです。受け取ってからずっと申し訳ない気持ちでいました。
兄弟3人分の思い出ノートを私一人がもらってしまった、これは姉とも弟とも共有しないといけないものなのではなかったのか。
家を出て7年くらいして姉と一緒に暮らし始めた時に「こういうノート、お母さんからもらったっちゃん」と姉に話したら、「あれ?それ同じの私も持っとーよ」と聞いた時の衝撃。
母は、分厚い思い出ノートを兄弟3人分3冊作って渡していたのです。
手書きで。
狂気。
いや、うちの母のことですから、おそらく自分用の原本を別に大事に持っていると思うので、計4冊・・・。
母のその努力も頑張りも、最大でも姉・わたし・弟の3人にしか省みられません。
でもそれは願いの厚みになって、「あなたたちのことをこんなに愛している」という厚い皮膜になって、自分と家族を覆っていることがわかります。
日記の中で母が「由紀ちゃん」と綴る。その瞬間瞬間、自分のことを質量も温度も深く正しく思い描きながら心に宿す人がいる。自分以外に自分の実存を信じて思い描いてくれる人がいるという重み、それが自信をくれるのだと強く感じるのです。
母が書いてくれたノートよりも純度は落ちるけれど、私が書いたノートも「狂気」と後々言われるかもしれません。
でもこの積み上げた日記が最大で4人にしか閲覧されなくとも、それでもやはり描き続けて良かったと思うのです。自分の作ったものが、誰かの心を守るかもしれない、誰かの背中を押すかもしれない、あなたが忘れていることのなかにも、あなたの本質があったよと伝えられるかもしれない。
計り知れない未来に向けて朧げながらも確実に、私は母からのバトンを受け取りました。そのことを意識したことはなかったけど、読みながらニコニコしているR君の横顔を見て、ああこれはそういうバトンなんだと感じました。
子供たちのうち誰かがまた似たような頑張りを見せるかもしれない、そうじゃないかもしれない。その未来への波紋。
連絡帳がアプリになって、第四子Wちゃんは2歳から先の絵日記連絡帳がありません。そのことを知ったRくんは真面目な顔で「今からでも書いてあげたらいいんじゃないの?覚えてるうちにさ」と言います。
自分の分は残っていて、妹の分がないことに、「それはかわいそうだ」と思っている R君に、いつか教えてあげようと思います。
内緒だけど描いてるよ。フルカラーで…。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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