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「ママも子供になっちゃえばいいのに」


ゆきだるまのシャワーは溶けとの戦い
泡でててくるビオレじゃなくて、普通のビオレボディソープがおすすめ
口笛も指パッチンもできません

上着の生地が少し厚めになり、アイスコーヒーよりホットコーヒーを選ぶ人が増えてくるのを見ると、四季のある国の良さと面倒臭さを感じます。
「どっちにしようかな」と迷う楽しみの裏には面倒さがある気がしませんか。
時間の価値がこれほど高くなった現代において、「面倒くさい」ことの増えたこと増えたこと。
着る服を選ぶのも、夕飯の献立を考えるのも、テレビのリモコンを手に取りどのスイッチを押すかどうかを決めるのも面倒です。
なんならめんどくさくないのか自分に問い詰めたいくらい、かなりのことが面倒くさい秋を過ごしています。

私にとってお風呂でシャボン玉遊びをすることも「面倒くさい」ものでした。というか、やるまえから「面倒」の箱にポイっと入れてしまっていて、チャレンジすることすらしないままでした。一刻も早くバスルームから出て、やるべき作業を進めたい。そんな思いで10分にも満たないお風呂タイムを過ごしていたところ、Wちゃんが言った言葉にハッとしたのです。

「ママも子供になっちゃえばいいのに」

なぜこれが刺さったのか。

「ママ遊んでよ」じゃなくて、「ママも子供になっちゃえばこの遊びは楽しいよ」という「立場をスライドさせて想像力を喚起させる」という文脈。
その「心を動かすための工夫」をWちゃんがしてきたこと。
その言語技術じゃなく、いろんな工夫をしないとママが動いてくれないことの悲しさがフッと刺さってきたのです。

「ママも子供になっちゃえばいいのに」

大人のママではもう話にならん、という諦観。

あっ、これはラストチャンスだ。

ママライフの崖っぷちというよりは、子供ライフの崖っぷちです。私が子供になれる機会はもうほぼ残されていないのです。

だってそう遠くない時期に、子供が子供じゃなくなるのですから。

子供は子供になってくれる大人が大好きです。
子供と同じテンションで同じ遊びにチャレンジすると、びっくりするくらい上手くできないことに気が付きます。
子供たちみたいに上手く飛べないし、軽く走れないし、足は上がらないし、シャボン玉もうまく作れません。

「子供たちってすごかったんだ!」って思って見開く目は、チャレンジもせずに「早くお風呂上がってやるべきことをやりなさい」と言っている親の目とは全然違って、キラキラしていることが自分でもわかります。

シャボン玉が難しいことがわかる。ケン玉が簡単じゃないことがわかる。口笛が一朝一夕ではできないことがわかる。

自分が一生懸命やっていることの難しさや、その苦労をわかってくれる人の言うことしか聞きたくない。それは、大人も同じなんじゃないでしょうか。


つい昨日、この懐かしのおもちゃ(?)↑をコンビニで見つけて、子供たちと一緒にやってみたら、それから2時間ず〜〜っと作り続けることに。
私が小学生の頃から何度も何度も何度もチャレンジしてきたこのプラバルーンがまだあることに感動なのですが、
「ママが子供の頃もこれあったの!?」「ママ上手だね」と褒められて、同じ遊びでまた楽しめること、同じ難しさにまた浸れることがとても嬉しかったのです。
縄跳びだってあやとりだってゲームだってきっと、いつでも大人の手に戻ってきてくれる。

「今日は子供になっちゃおう」とダイヤルを動かすエネルギーがあれば。

自分ではもう動かなくなっていたそのダイヤルを動かしてくれたWちゃんのぱあっと輝く顔は、忘れてはいけないものでした。
これからは自分でカチカチと器用に切り替えていきたいものです。

君たちがまだ子供でいてくれるうちに。

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