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007の世界で深く手当てをされる

「映画を見にいきませんか」

ある金曜日、義父(79歳)に声をかけました。夏が来てから『竜とそばかすの姫』も『科捜研の女』もすげ無く断られた後の、懲りない映画の誘い。

義父は2年前脳梗塞で倒れ、左半身が以前ほどスムーズに動かせなくなりました。リハビリを続け歩けるようになったけど、もちろん以前のはつらつとしたスピード感はなく、積極的に運動する意思も低下で日中はほぼソファと一体化。運動を免除された筋肉はどんどん細くなっていき、義母と二人で抱く「細くって羨ましい」と「外出と運動が必要よね」という思い。

どこに行くのももうめんどくさいんだよ、という雰囲気を醸し出しながらおじいちゃんが顔を上げ、私は間髪入れずにファイナルアンサーを口にしました。

「007です。ノーなんとかトゥーなんとか」

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英語がからきしダメな私はこのタイトルを「死ぬまでにはもう時間がない(もうすぐ死ぬ)」という意味だと一生懸命考えた末に答えを出していました。

でも全然違いました。(それに気がつくまで映画の五分の四の時間がかかりました)

「以前の007は見てたんだけど、今のシリーズは見てないんだよ」

そう言うおじいちゃんの一押しはショーン・コネリーの『ロシアより愛を込めて』。19歳の時に映画館で最初の007シリーズを見てから全作映画館で見てきた義父は、現007のダニエル・クレイグのことを「隣の軍隊の英雄」みたいな距離感で捉えていました。評価や頑張りは知っているけど自分には関係ない。ショーンコネリーは戦友だが、そのクレイグの物語は自分の物語ではない。

それでも、落ち込んだ時にダニエル・クレイグ版の「007」とトム・クルーズの「ミッション・インポッシブル」を交互に見ては励まされてきた私は言いました。「ダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドもいいんですよ。これが彼の最後の007だから見に行きましょう。これを見てから「カジノ・ロワイヤル」を家でアマプラで見たらいいんです」

いいわけないと思いながら、他のボンドシリーズを一切見たことない私と、他のボンドシリーズしか見てないおじいちゃんと、とにかく外出が嬉しいおばあちゃんと3人で向かう映画館。

普通の人の速度の2.5倍の時間をかけて義父に合わせてゆっくり歩いていきました。キャラメルと塩のポップコーンに加えてコーラを買ってチケットを発券し入場の列に並ぶのも一番下っ端の人間の役目。私たちは何を求めて映画館に行くのでしょう?好き好んで飛び込む他人の人生。悲劇か喜劇のシネコンのドア。

手すりのない映画館の階段を降りるおじいちゃんは足元が危うげで、前からも後ろからも横からも距離のあるど真ん中の席をとってしまったことを後悔したけれどもう遅い。シネコン9番スクリーンは照明が暗くなり、私たちは好き好んで飛び込みました。007の世界に。いつ死んでもおかしくない英国秘密情報部のジェームズ・ボンドの人生に。

おじいちゃんはポップコーンにもコーラにも一切手をつけず、食い入るように映画を見ていました。


映画に限らず、だれかに物語を勧めるのは難しいことです。以前同じような流れで「パラサイト-半地下の家族」を見に行った時、帰り際に「この映画はわしにはキツかったな・・・」と義父が言ったときの、そのか細い声が忘れられません。

稼げなくなったら社会や家族から排除されてもおかしくない、ましてや高齢者なら尚更だ、と感じる部分があったのだと後から気が付いて、選択の甘さを悔いました。

なにせ自分も初めて見る映画だから、どんなメッセージが潜んでいるかわかっていないことが多く、良かれと思って勧めても結果的に落ち込ませてしまうこともこれまでたくさんあったのです。共感できなくても映画体験としてつらいし、共感できすぎても絶望を握らされるようでつらいのです。

一方的に思う「これはこの人にも面白いんじゃないかな」には危険が潜んでいます。世代や属性が違うとその面白さの奥にある『一定の人だけを傷つけるナイフ』に気がつきません。

義父を映画に誘うときは、程よく他人事で、だけど全然知らない世界でもなくて、希望のある未来を感じられるものを・・・・そんな選び方をするようになりました。

そんな義父と義母と私の3人で見る映画として、「007/NO TIME TO DIE」は完璧でした。どれほど完璧かというと、映画館を出るおじいちゃんがなんだか「引退したMI6の元エージェント」に見えるほど。後輩のダニエル・クレイグの勇姿を「あいつもよくやったよ」と称えるように、帰り道は話が止まりませんでした。

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義父は博識な人です。家族の中で私と百人一首の話をしてくれるのは義父だけ。歴史にも詳しく、脳梗塞の後で昔ほどテキパキとやりとりができなくなっても、河原左大臣の塩竈の話をするときはぱあっと目が輝きます。

蓄えた知識と思い出を口に出すとき、人は目の奥にある芯みたいなものが前に出てくるのだ、と私はその時はじめて感じました。映画の帰り道での義父もそうでした。

「素晴らしい景色だった。映画館で見る価値がある、本物の映画を見た、って感じだったな。あと2回はこれ見られるな。」

帰り道も義父の歩みは遅く2.5倍の時間がやっぱりかかります。
家族と外出してはいつも取り残され、振り返る義母にため息をつかれること。思うように体が動かず、そのことに自分自身がっかりして外出を厭うようになること。
それを超えても、映画が楽しいこと。力強く走り続けるジェームズ・ボンドに広がる世界を感じたこと。まだ見ぬイタリアの絶景。世界を股にかけボンドと違う思惑で生き生きと躍動するボンドガールたちに、胸躍ること。


「映画また行きましょうね」「ああ」と食い気味で返事をしてくれた義父に、私の胸まで踊りました。

ああ不思議です。『科捜研の女』より『パラサイト』より、おじいちゃんに寄り添ったのは『007』だったのです。

いかに作中で人がバタバタ死のうとも、過酷な運命に主人公が翻弄されようとも、素晴らしい密度と集中と美学を持った映画は人を手当てするのです。



ショーン・コネリーのジェームス・ボンドシリーズを知らない私は、これからしこたまアマプラでそれらを見ます。ショーン・コネリーとともに人生を歩んできた義父は、これからダニエル・クレイグのホンドシリーズを4作見ます。

おじいちゃんから見たら年下の彼でさえもジェームズ・ボンドを卒業してしまったけれど、映画が好きならばその意味がわかります。映画の中でダニエル・クレイグのボンドが永遠になったことを。


若く気力がないと見れない映画があります。これはもう自分のためのものではないと線を引いてしまう映画があります。老若男女が楽しめる作品というのは多くありません。自分の心を救ってくれる作品に出会えることは、歩いてきた人生が長い分だけ虹色のご褒美の色をしています。

未来に向け進化して行くために、自分で自分を変えなければとスクラップ&ビルドするボンドシリーズの未来を、できるだけ長く義父と楽しみにしていきたい。

目の奥の芯に火が灯る『楽しい』会話はいつでも誰にでも必要です。

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