消えない魔法を持つ神様の話
今日は私の神様のことを書きたいと思います。
【アール・ヌーヴォーの華】というキャッチコピーで、私の観測ではトップクラスで有名な画家アルフォンス・ミュシャ。
イラストを描く人間に愛され、同時にアートを好きな人間に「うっすら嫌われている」存在。
あまりに一般に伝わるわかりやすい華やかさと美しさで人気を博しすぎてしまった所は、版画で一世を風靡したクリスチャン・ラッセンとも重なります。
だからなんかもう普通に「ミュシャが好き」って言えない。「ああ、みんな好きだよね・・・」みたいな退屈な返事になることを恐れて言えない。
それでも言います。私のなかの「美」を引き上げてくれたのは間違いなくミュシャでした。
高校2年の頃、福岡の天神の百貨店で開催されたミュシャ展の最終日。
あと10分で期間終了になるところに飛び込んで、順路を間違えて最初に最後の絵を見てしまって、うわ?!と思ったんです。
目の前に現れた絵は「クォ・ヴァディス」。
ミュシャといえば、美しい女性のS字を描く曲線的なポーズや背後を飾る円環モチーフ等が有名です。
そのリトグラフのイメージを最初に抱いていた私は、この繊細な油彩の大きな絵に驚きました。237.5センチ✖️218.5センチのキャンバスに、これでもかと込められた艶かしい空気。そしてそれを彩る薔薇と百合のモチーフ。
この画家がとても多面的なアーティストなのだということを、私はちっともわかっていなかった。それからずっと、出会って30年かけて知り続ける日々なのです。
そもそもこの「クォ・ヴァディス」は大阪の堺市の美術館所蔵です。
なんで堺市に?
堺アルフォンス・ミュシャ館は500点を超すミュシャ作品を所蔵する世界最大規模の美術館なのです。
なんで堺市に?
ミュシャのことを追う中で、なんで?なんで?が連なります。
堺アルフォンス・ミュシャ館はとても面白い美術館。
福岡の人ならみんな知ってるカメラのドイ(かつて本店が福岡にありました)の創業者・土居君雄さんがミュシャの魅力に惚れ込み、熱心に蒐集を重ねた結果が500点に及ぶ蒐集品。それを堺市に寄贈したことからこの美術館はスタートします。
「ミュシャが写真をデッサンに用いていた」というエピソードから、土居君雄さんはさらに興味を持ったそうです。だってカメラのドイだから。
美しい作品群。集めたらもちろん土居さんはみんなに見せたい。「ミュシャの魅力を人々に伝えたい」と思うわけです。でもカメラのドイの文化事業を任されたスタッフは考えます。
人々の多くが「わあ綺麗」と一瞬で思う装飾の華やかなリトグラフと、スラブ叙事詩のような油彩の大作がミュシャにはある…
「まずは作家の名前を覚えて好きになってもらうことが重要。チェコ時代の深遠な作品の素晴らしさはのちにゆっくり知ってもらうことにして、華やかなパリ時代の作品に焦点を当てよう」
と、カメラのドイ文化事業部のスタッフさんは考えたのです。その結果、私たちがまずバーンと知ることになったのはこういうミュシャで
こっちの「なんの絵かよくわからないっス」となる作品は後回しに・・・
土居君雄さん!!!!
土居さんのせいというか、カメラのドイ文化事業部の思惑だったんですか!!
そのミュシャのイメージの作り方は功を奏して、日本でも人気を博し何度も巡回展が行われます。その中の一回に私も学生時代に巡り合うことができたのですから頭が上がりません。それもこれも全部、土居さんのおかげだった…。
驚くべきことに、ミュシャは生涯で250点ものポスターを描き、そのほかにも挿画や雑誌の表紙、切手やポストカードなど、多種多様な作品を描きます。
私はミュシャのことを色々知っていくうちに、背筋が寒くなっていきました。無理でしょう・・・という感覚を強くします。
一人でこれを・・・250点以上もこのレベルの密度で描くなんて、無理でしょう?
ポスターだけで250点。そのほかにも巨大な大作がたくさんあるのです。
20作に及ぶ連作のスラヴ叙事詩はどれもこれも8メートル✖️6メートルなどの巨大な作品です。壁です。そしてこの描かれる人数、書き込みの凄さ、これを毎年一枚以上書き上げていらっしゃった。60歳を超えても。ミュシャ!!無理しないで!!(もう遅い)
絶対無理じゃん。「この辺、グレーで塗っておいて」とか「この花のモチーフ一個描いたから、同じパターンで20個描いておいて」とか、お弟子さんとかとチームで取り組むのが普通じゃないんですか?どうなんですか?
でもどこを調べても、アシスタントがいたという情報が出てこないのです。
ほんとに・・・・?
この細かな花を・・・・円環やタイルを、全部一人で描いたというの?オーマイガ・・・・
(誰かご存知の方がいたら教えてください)
最初はリトグラフのシリーズのラインどりの美しい絵に魅せられていたのですが、時間が経つほどに、知る作品が増えるごとに、アルフォンス・ミュシャの印象は深くなりました。誤解を恐れずに言えば、想像を絶する変態っぷりハマったのです。
チェコ以外では初めて「スラヴ叙事詩」を展示した新国立美術館のミュシャ展が2017年。そこで緞帳のようなスラヴ叙事詩の連作をこの目で見られたのも、全て土居さんからの連綿たる熱意のおかげだと思うと、土居さんの変態っぷりまでも尊い。叶わないけど握手をしたい。土居さんのおかけで堺市に行けば本物の「クォ・ヴァディス」に会えるんです。
使っている画材が「卵テンペラ」だと知ればその調合の仕方を調べ、「リトグラフってよく聞くけどどうやるもの?」と思えばそのやり方を調べ、1860年に生まれ1939年に亡くなったミュシャのどれもこれをも尊敬してきた30年。
1939年にミュシャは亡くなってしまったから、1950年にアクリル絵の具が生まれたことも知らないのです。
この新しい絵の具を使ったら、ミュシャならどんな絵を描くだろう?
コピックを渡したら、どうやってグラデーションを扱うだろう?
パソコンを渡して、フォトショップを教えたら?
デジカメを教えたら?
AIなんてのもあるんですよ。どうします?
どんなにまじまじ見つめても、これほどのデッサン力とこれほどの透明感を自分は出せる気がしないのです。
そしてどれほど熱心に頑張っても、ミュシャほどの作品の数を出せそうにないのです。
ああもう本当に、どういう人だったんですか?どうやって、どんな物が見えていて、こんな絵を描けたんですか?
もうずっとずっとわからないんです。
「絵画上の光景があたかも現実世界に立ち現われるような臨場感。絵の中の人たちが物語のなかの出来事ではなく、こちらを見ている。私たち鑑賞者がいることを知っていて、目で訴えかけてくる。そのため絵画の中の人物や出来事との交感が生まれる。」
ミュシャ研究者の小野尚子さんの言葉に深くうなずきます。
絵というのは、見るものじゃなくて交感するもの。語らうもの。アプローチを知りたくて、極限までそばに寄って、その絵の具の奥までも、描かれる人の内面までも、その瞳の奥まで触れたくなるもの。
私の神様はずっと絵ばっかり描いてる魔法使いで、ものすごい魔力と魅力で今も生きてるから、一枚の絵で何処までも連れていってくれるから、好きを込めて私も絵を描くということに努力していかねばなりません。
今はこの、堺のじゅうたん織りの伝統技である「堺緞通」のプロジェクトの進行が楽しみなのです。クォ・ヴァディスの絨毯作りはいま62%のところまで来ていて、今年度中に仕上がる予定とのこと。そしたら堺に旅に出たいな。
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末次由紀のひみつノート
漫画家のプライベートの大したことないひみつの話。何かあったらすぐ漫画を書いてしまうので、プライベートで描いた漫画なども載せていきます。
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