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「自分」の話の中の「自分」を救え

昨日まんが投稿サービス《コミチ》さんにコラムを掲載しました。

出来立てホヤホヤのちはやふる232首のネームを描いて、毎度の如く瀕死のダメージを受け、それをどう乗り越えていったかの話です。ちなみに232首の原稿は今絶賛ペン入れ中で、仕上げ合宿は明日から。
まだ戦場にいると言えますが、ネームの地獄は超えたので、ちょっとだけ余裕を見せてnoteを書いています。

このコラムを書いて、いろんな感想をもらいました。読んでくださった皆さんありがとうございます。同業の方や、クリエイティブに関わる方の声が多く、とても嬉しく、なんだか心強くもありました。この感覚が通じる人がたくさんいてくれることが。

その中でハッとしたのは、シャープさんのこちらでした。

「キャラクターを生んだ後もなお孤独」

・・・・・そうか、そうだな・・・。

「自分をどかせ」ということは、「自分」のケアは脇に置けということ。それこそが作家が楽になる道だと書いているけれど、それは「楽になる」というか単に「漫画が面白くなる」道で、それがどれほど孤独なことかという受け止めはしていませんでした。

話をする相手(キャラクター)はたくさんいるけど、自分のことを聞いてくれる人はいない。

だから人はネットに文字を書き込むのだろうと思います。私もです。

恐ろしいのはその「受け止める人がいない」ことの自覚がないまま放たれる言葉であり、「受け止めてほしい」思いを自覚しないまま放たれる、受け手が想定されてない言葉です。

そんなこと考えないで好きなこと言いたい、言っていい場所でしょ?というのもわかるし、否定できません。

232首を書いた時、キャラクターの言葉は聴こうとしなければ聴こえてこない、という気持ちを再び捉え直したけど、

自分の気持ちだって、聴こうとしなければ聴こえてこないんですよね。

「君はどんな想いを抱えてる?」とキャラクターに問うた後には、

「私はどんな想いを抱えてる?」と聞いてあげる時間が必要だと思いました。

試しに自分に聞いてみました。「末次さん、今どんな想いを抱えてる?」

疲れてるけど、もうちょっと頑張れる。
でも20分だけ目を閉じたいよ。

ふー…と息を吐きつつ出てくる心の声は、体の声でもありました。

そうなの。そうかあ・・・。

デジタルデバイスに囲まれて仕事をして、子供といるときは「ママこっち見て」と四六時中話しかけられて、寝る寸前までスマホを見て、一番辛いのは目なんだね。

20分、目を閉じてあげなきゃね。こんな小さな単純なことでも、あえて時間を作って問いかけないと受け止めることなく無理をして1日終わっちゃうもんね。ごめんね。大事にしてないね。

社会の底が割れていく音が聞こえるニュース。経済的にも心理的にも支えが必要な人がたくさんいて、それは身近にも迫っているし、もしかしたら自分にも迫っているかもしれない。

見過ごしてしまいがちな「自分の声」を丁寧に聞いてあげることは、実は次の一歩を踏み出すための大事な行動のように思います。

だって聞かないと「20分目を閉じる」ことなんてしないし、きっと「具合が悪いから病院に行きたい」とか「寂しいから誰かと話したい」とかも、言葉になって出てこないと思うんです。

「自分をどける」ことができる人は「他人の声を聞く」こともできる。でも同時に「自分の声を聞く」ことも忘れないようにしないといけない、と強く思う朝です。


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