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文章をマガジンにまとめました。歌詞や詩と混在しているので。
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記事一覧

お盆前の読書会『不在と永遠、詩と物語』 レポート③

さて、また前回に引き続き、8月11日・12日開催のお盆前の読書会『不在と永遠、詩と物語』のレ…

お盆前の読書会『不在と永遠、詩と物語』 レポート②

さて、前回に引き続き、8月11日・12日に開催した、お盆前の読書会『不在と永遠、詩と物語』の…

お盆前の読書会『不在と永遠、詩と物語』 レポート①

この夏、8月11日と12日の2日にわたって、お盆前の読書会『不在と永遠、詩と物語』を開催しまし…

読書は、盆踊りだ!

「読書は、盆踊りだ!」 突然何なんだ?と思われたかもしれないが、読書と盆踊りはどこか似て…

君がいた海へ よしもとばなな『海のふた』

『海のふた』は、ふるさと西伊豆の小さな町の海辺で、かき氷のお店を始めたばかりのまりちゃん…

船よ、時の川を進め

詩や物語の中の言葉は時間的な射程が長く、時間経過による風化に抗う耐久性があるものだと思っ…

彼岸へ向かう言葉

今はもういない人を偲び、彼ら彼女らが生きていた時の姿や表情をありありと思い出させる、そのための言葉。 それらは結局、詩の言葉であり、歌の言葉ではないか。表現としての言葉でなければ、もういない人のことは語れないのではないか。 「詩とは死のことなのだろうか」と、久世光彦の本(花筐(はながたみ)」に書いてあった。詩は「彼岸へ向かう言葉」なのではないかと私は最近思っている。 宮沢賢治の「心象スケッチ」は正直わからない。けれど、非常に感じるものがある。賢治の詩は、彼岸へ向かう言葉

みんな星に還って行く サン=テグジュペリ 『星の王子さま』

『星の王子さま』は、別れの話だ。最近、何度目からの再読をしたら、別れのシーンが特に印象的…

「自画像」

結局のところ、作品というのは自画像ではないか。 エゴン・シーレも佐伯祐三も、ゴッホも松本…

「芸術ラーメン論」

「芸術は、ラーメンだッ!」 ラーメン屋でラーメンを食べて、ガッと宙を見上げ、岡本太郎のよ…

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『古本詩人ゆよん堂』について 〜5年前の文章より、コンセプトなど〜

※冒頭から注釈で失礼致しますが、文章をお読み頂く前に、あらかじめ知っておいて頂きたくて。…

「5年前のゆよん堂事業計画書より」

※冒頭から注釈で失礼致しますが、文章をお読み頂く前に、あらかじめ知っておいて頂きたくて。…

100年後の君に、詩集を贈る 番外編〜無限の前に、腕を振る〜

風が立ち、浪が騒ぎ、 無限の前に、腕を振る 中原中也「盲目の秋」より 僕は新潟市西区の内野…

100年後の君に、詩集を贈る 番外編〜室生犀星詩集のこと〜

今、僕の目の前に一冊の茶色い古びた詩集があります。昭和4年、1929年に出版の室生犀星詩集。なんと今から91年前の本! 一番最後のページには「明日は試験だというのに、勉強がイヤになった」と赤い鉛筆で書かれています(笑)最初の持ち主が学生時代の試験勉強をサボって、本屋で買った一冊のようです。 僕も辛い状況にある時は、昔からよく本屋に駆け込んだもんです。 この室生犀星の詩集、1940年代の第二次世界大戦の時代を越えて、91年という歳月を越えて、2020年ゆよん堂に存在します