いきのね
久しぶりのブログ更新です。
先日はCo.山田うんの「いきのね」を見に行きました。
きっかけはこちら。
The Chain Museumは遠山正道さんが手掛けるアートビジネス。
その中のひとつがこのCo.山田うんがレストランとコラボする企画でした。
本当はこちらに行きたかったのですが、タイミングが合わず。
んで気になっていたCo.山田うんを見に行こうと思いました。
ダンスを見に行くという経験もありませんが、ただのダンスではないのがこの「いきのね」でした。
私の感想はまとめると以下になります。
・イメージの具現化
・圧倒的ライブ感
・有機的
▼イメージの具現化
まず底の見えないイメージの世界に吸い込まれるようなそんな感覚。
おそらく山田うんさんの頭の中のイメージ、夢をビジュアル化させたようなそんな気がしました。
世界観ももちろんすごいのですが、これを具現化したというのが凄いなーって思いました。おそらく頭の中にあったときのイメージはもっと抽象的で、ぶっ飛んでたはずで、それを舞台の中で形にできる想像力に感嘆しました。
モダンアートというか超現実というかそういうビジュアライズや映像は見たことがあって、それが人と舞台で作られている、そんなイメージでした。
▼圧倒的ライブ感
DVDとかも販売してたんですが、これについては絶対生で見たほうがいいと思います。
個人的に映像とライブの違いをよく考えることがあるのですが、ライブを見に行ったほうがよいものとしては「感覚、感情」を使うものはライブのほうがいいと思います。
まず没頭できる環境っていうのもライブの大事な要素で、結構頭で理解できないビジュアルが続くのでDVDとかではまず集中できない(笑)。
暗転とかも多様するので、真っ暗で不安がよぎったり、ろうそくの火のロウが焼ける匂いとか、ダンサーの手を叩く音や足を踏むときの音、そういったことを感じることができます。
あとは最大のミソとしては、ダンサー個々人が結構個性的で男女も交じりあっているので、「ヒト」としてみてしまうというところかと。
あのダンサーの筋肉すごいな・・とかあの女性の背筋がキレイ・・とか。
見せ物としてはビジュアル的なことが多いんですが、ダンサーが実際に表現するっていう意味はこういうところにあるんじゃないかと思ったりする。
なんというか、純粋なアートの中に「不純」が混じるというか。
人間ならではの感情が混じってしまうというか。
そういうところにああいった舞台とかライブの唯一性を感じました。
▼有機的
ダンス的にはとても機械的な構成というか表現も多々見られました。一定のフォーメイションというか、集団行動のような同じ振り付けを集団で息を合わせて踊るといったような。
ただ、そのような集団行動のような息ぴったりで不気味にも美しい、そういった表現を狙っているわけではないようでした。
ダンサーは男女も混ざって入れば背格好だって違うし、髪型だってひとそれぞれ。もっといえばダンス自体もむっちゃそろっているかといえばそうでもない。
ただ私としてはこれは狙っていると感じました。
一定のルールに従って動きはするが、複数人違う動きもしちゃう。
でもそれって生物の細胞とかそういうイメージがすごくあって、血管の中で血が流れるにしても赤血球が一部ひっかかったり、止まったりするやつがいたりして。ただ一定量は機械的に血管をすっと流れていく。
すごく数学的、幾何学的な構成になっててそういうの好きな私としては「うわー」ってなりましたけど、その中で生物的なニュアンスもすごく入っている。
たぶん山田うんさんはこってりな理系なんじゃないかなと。
とにかく自分で色々考えさせられるし、考えないとよくわからず終わってしまう!という危機感もあって見た舞台でしたw
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?