いくつかの断章

ジジェクによれば「人は本当のことを話さない。ゆえにこの世界には何もない」という。
しかしその「無」を、その「無」をこそ、人々は分有(partage、分割=共有)しているとはいえないだろうか。

芸術は近代ヨーロッパの所産である。
芸術が近代ヨーロッパの所産であり、エピステーメー(その時代の思考の枠組み)によって規定されるものであるならば、私たちは芸術を自明のものとみなすことはできないし、近代ヨーロッパ特異の、近代ヨーロッパに限定されたものとして芸術を相対化し得る。

であるならば、資本主義やテクノロジーと結びついたオリジナリティやクリエイティビティ、新奇さや独自さを追い求める時代の流れ――すなわち資本によって駆動される不断の、そして加速する差異化――もいずれ変わってゆくのだろう。
たとえば階層や職業によっても好みとする音楽ジャンルは異なる。
音楽の各ジャンルをアイデンティティとする主体化の在り方も問われることだろう。

近代ヨーロッパ中心主義からの脱却。

短歌、否、和歌は芸術なのか。

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