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春と善意

ようやく春が訪れた新宿の金曜、お昼前。
もうあと少しで会社に着くという時に、僕はあることを思い出し、少し遠回りをして出社をした。

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僕は出社の日には毎日、会社前でお弁当を売っているおばあちゃんのお弁当を買って出社する。
今日のおすすめのお弁当や天気の話など、他愛もない会話が仕事前の脳をウォーミングアップさせてくれる。

思えば、代々木→西新宿→新宿南口→西新宿と、オフィスが変わるたびランチタイムに懇意にしているおばあちゃんがいた。
特段僕が妙齢の女性に好かれやすい性質というわけではなく、ランチに出かけた先に美味しいご飯やお弁当を振る舞ってくれる手練のおばあちゃんがいて、人よりも高頻度で赴くので顔見知りになり、ランチといったら各々のおばあちゃんのところで……というサイクルに入りやすいだけである。
そう書いていると、自ら積極的におばあちゃんの懐に入り込んでいるようだ。

その日遠回りをし、なんとなくおばあちゃんを避けたのは小さい理由があった。

おばあちゃんのお弁当を買い始めて1年を過ぎた頃のある日の金曜日。
「毎週金曜日はお疲れ様ってことで、お兄ちゃんはこの100円でお茶でも買ってね。他の人には内緒よ」と、彼女は500円のお弁当を100円引きしてくれたのである。

「毎週」と言っていたので、初めは「いや、いいですよ!」なんて断ったのだが、差し出した500円のお釣りの100円を返してもらえず、「すみません。ありがとうございます」とその日は観念して400円でお弁当をいただいた。

翌週、まさかそのやり取りを覚えているとは思わず、いつものようにお弁当を買うと「金曜日だから」と言い、またその次の週も400円でお弁当を販売してくれる。

それからというもの、毎週すごくありがたい気持ちを感じつつも、徐々に毎週金曜日にお弁当を買うことにバツが悪く感じてしまっている自分がいた。

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思い返すと、昔から人の善意を真正面から受け取れない人間だった。

そこまで裕福な家庭だったからではないからか、あまりものをねだったことがなく、小さい頃から生粋の遠慮しいだった。

一番古い記憶は、数家族が集まって遊んでいた時のこと。
おやつを提供された時に、友達のおばちゃんから「ゆうやくんから選んでいいよ」と言われ、なんとなしに一番大きいドーナツを手にとった際、驚いた母とママ友の間で「いいよいいよ!遠慮せんで!それ食べな!」と笑いと歓声が上がったことを覚えている。

また、成人式が終わって少し経った頃だろうか。小学校時代、仲の良かった3人組で久しぶりに地元で集まった時のこと。
どうせだからおしゃべりなHの母ちゃんも呼ぼうと近所のハンバーグ屋さんにH母を呼び、4人でご飯を食べた。
わいわい話をして楽しんだ後、気付いたらH母が4人分の会計を済ませて先に帰っていた。

その行動はすごく粋で、今考えると「3人の集まりに呼んでくれてありがとう。最後は3人で楽しんでらっしゃい」の意図だということは100%理解できるのだが、当時は「まじかよ。そんなの申し訳ねえよ。これ、H母に渡しといて!」と合計金額を大まかに四等分した金額の1000円札をHに握らせた。
それからH母には10年以上会っていないのだが、あの時のことは思い出すたびに逆に「申し訳ねえよ」という気持ちになる。

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先日どこかで見聞きしてとても学びになった話がある。
「育児は相当辛い。2〜3年しっかり眠れず、自分の時間のない状態が続く。だけど、その過酷さをしても人間の出産や育児が途絶えないのは、子供へ”してあげる”ことへの幸福感がそれに勝るからだ。」
といった趣旨の話だった。

子育てをしたことのないぺーぺーが現実知らずに勝手に腹落ちしてんじゃねえよという批判があればごもっともなのだが、傍目から見て、相当無理のあるな多くのお父さんお母さんのライフスタイルを可能にしている理由が、「人に与える幸福」なのだということだそうだ。

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「人に与える幸福」を徐々に知り始めた僕にとって,次の課題は「素直に善意を受け取る」技術を磨くことだと感じている。

素直に善意を受け取ることによって初めて、相手の幸福に寄与できる。と考えると、少しだけハードルを低くすることができる。

それに加え、与えられたら与えられたままではなく、「与え返す」こと。
アラサーにもなって、であることは重々承知の上なのだが、与えたら与え返すことを誓うことで、また更に善意を受け取るハードルが下がるし、それに自分自身も与える喜びを知ることができるのだ。

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先月のバレンタインデー、今年唯一のチョコレートをくれたおばあちゃん。
バッグの中に入っているマカロンを明日手渡すことで、僕は今後、毎週金曜日の100円引きのお弁当を気持ちよく買うことができ、おばあちゃんの喜ぶ顔も見られるかもしれない。
月曜日の出社がいつもより少し楽しみなホワイトデー前日の夜なのだった。

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