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結婚式の撮影で鍛えられる理由。

最近、トムにiPadをもらって(本当はもらえてない)、アルバムのコマ割りを紙に書いていたのをiPadでやってみています。主に夜中に。

結果、圧倒的に紙のほうが早そうなんだけど、訂正したいときに直せるということに関してはiPadに軍配。

持ち運びに関しては普段A4のコマ割り用の原紙を数枚折りたたんでボディバッグに入れているので、紙に軍配。

本題に入ります。

人が撮った写真を見ていて、このページのレイアウトをするために写真を選んでいくときに、気付きを得ました。

「このシーンでこういう状況なら、ここからこう撮れば"サビ"になる」、という感覚で撮れるのが「撮り方の正解」です。

サビとは、その見開きのページの最もメインとなる写真。チャペルから退場するなら、バージンロードを歩いてくる新郎新婦のいい瞬間。背景には拍手をするゲスト。ただし、こういうのは誰でも想像できて、誰でも撮れる写真です。

そんな王道シーン以外に、サビが読みにくい、つかみにくいシーンがいっぱいあります。
フラワーシャワーのあとの、ゲストとの写真タイムとか。
新郎新婦、ゲストの皆さんが飲んで食べてしゃべっての、歓談の時間とか。
サビはないか〜と探索しながら、撮影を続けます。

流れにまかせてただの"写真係り"をしているだけだと、本当に誰でも撮れる写真しか撮れなくて、結局、おもしろくない普通のアルバムができていくことになってしまいます。

今撮っているシーンがどういうもので、アルバムにどれだけ影響してきて、ここでサビとなる写真を作っておかないといけない、そしてサビとはこういう写真だ、情報量が適切で、構図も説明的でなく印象的で、その一枚でそのシーン全てを思い出せるような。

その見開きでのサビ=メイン写真が決まれば、あとはどんな写真で補足していくか、どんな写真があれば面白くなるか、必要か。メインを引き立てる写真は。撮る時点でこれらを考えていれば圧倒的にアルバムが作りやすいはずです。

それをしながら、一般的に必要とされる記録写真も逃さず撮っていかないといけない。

頭は常にフル回転。初心者や単なる仕事として撮っている人の場合、そういう感覚がないのでひたすら記録写真、補足写真、目の前にあらわれたモノを撮ることに従事することしかできない。

流れのある撮影では、読み、読み、読み、の連続です。

結婚式には事細かく作られた"進行"というものがあります。それを頭に入れて、そのつなぎの時間をどう表すか、伏線をどう張るか。ここは待っていたらサビが訪れなさそうなので、自ら声をかけてサビを作っておこう。それらはただひたすら、新郎新婦さんに喜んでもらうため、それだけが原動力。

こうして流れのある写真で鍛えると、流れがあることがいかに重要かを知ることができ、流れを表す能力を身につけることができます。

逆に、流れのないとき。スタジオ撮影や、ロケーション撮影。流れを知る人と知らない人が撮るのでは、どう変わるでしょう。

ただ単に、はいこれ撮ってー、はい次これ撮ってー、じゃあ今度あれ撮ってー、というのが、流れを気にしない人(極論ですが)。

流れがいかに大切か、進行表がない分、イベントがない分を、いかにしゃべりや動きで抑揚を持たせて、はじまりから終わりまでを、心にだけ残る「ストーリー仕立て」にできるか。

ただ単に、目の前にあるものを撮るのが仕事じゃあない。いかに流れを作り、その中でいかにお相手と共に写真を作っていくか。そこには想像を超えた、「偶然」の写真がきっと訪れる。

だから、ドキュメントはたまらない。

例えば進行があるもの。
運動会・・・スポーツの要素
卒園式・・・感動的だけど短い。撮れたとして年に数回。
結婚式・・・最低6時間。長編大作。うちの場合で年に200回以上撮影。つまり、脳みそ鍛えるには最高のドキュメンタリ。

スタッフには何度も言うけど、国語が大事、国語表現能力を、です。たぶん、5W1Hの要素が強いです。

現に、10年前に撮った尾鷲のカップルの結婚式のアルバムが、今でも一番のお気に入り。これは、国語表現の大切さが流行りではなく、普遍的なものということを教えてくれている気がします。

「君が上手くない理由はね、目の前に自動的に現れたものを撮っていて、見る人の想像を超えないからだよ、」という言葉が今日のまとめです。

これは、誰かに言ってるわけではないですくれぐれも。こういう考え方は大事ですよ、という話でした。

それでは!

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