見出し画像

間違えて休学した、旧帝(東大、京大ではない)の理系院を。#01

タイトルの通り、俺は旧帝の理系の院に進んだのにも関わらず、1日も大学に行かず休学した。
その経緯だらだらと昔のことを思い出しながら話したろうと思う。
初めに言っておくが、俺はうざい。昔はこんなんだったんだ、ではない今でもこんなんだからこんな恥ずかしい思い出を話せるのだ。

俺は田舎に生まれ、田舎でノビノビ育った。

俺の人生。
幼稚園時代。
年長になる頃に公文に通い始めた、母親から「英会話か公文どっちがいい?」と聞かれ、自分で公文を選択した。
あの時の母親は本当にどっちがいいかを自分に委ねたのだろうか、否、自分で選択したという事実が俺を強くすると思ったからああやって決めさせたのだ。
実際、中学を卒業するまで公文に通いきったし、今あの質問を覚えているくらい自分で選択したという事実がよくも悪くも、俺を縛り付ける。

小学校低学年。
公文に通っていた俺は数学が得意すぎた。百ます計算は頭の体操ではなく、手首の体操だったし、ペラペラめくって「にくじゅうはち」とかやるやつは少しは俺の滑舌に役立ったかと思うものであった。そんな俺は言うまでもなく、自分のことを世の中で一番頭のいい人間だと思っていた。負の数と負の数の積が正の数になることを理解できず、大泣きしたのもこの頃だったと思う。
自分が低学年だった頃に今の自分のような存在が近くにいたら、そんな疑問もおもろく解決してくれるのだろうが、あの時叔母は「そういうもんだから、覚えるしかない」と言った。それが意味わからなすぎて、自分でも理解できないほど泣いた。
理解できないものを受け入れないといけないことに対して。

小学校高学年。
この頃は肌が綺麗だった、そして自分にこれほどかというほど自信があった。だからか、モテた。俺の人生のピーク、最強。
そんな中、社会のテストで45点を取った、社会のテストなんて頭の良さにあまり関係がないことに気づいていた俺はどうでもいいと思った、周りのみんなが俺は数学ができるからな、お前らができない因数分解ができるからな、と思っていた。しかしそんな中、アホな奴が俺に「お前は計算だけやな」と言ってきた。算数だけならまだわかる。計算だけ?なめんな猿と思った、初めて自分が負けず嫌いなことに気づいた瞬間だった。これをきっかけに、算数以外の教科でも80点は取るようになったことは言うまでもない。

今日はここまで。初日に飛ばしたら続くものも続かない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?