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DID(解離性同一性障害)における似非の存在について

※この記事はDID(解離性同一性障害)に関する個人的な意見を、かなり過激な文で書いています。読む場合は全て自己責任でお願い致します
読んだ際に体調不良や精神状態の悪化が起きても一切責任は負いません


Samanthaです。
ここ数ヶ月間、自身をDIDと称する人はTwitter上で激増して、今や流行病とまでなりつつある感じだよね。
これもやっぱり、メディアがDIDの事を取上げたり、DIDでYouTube発信を始めた人が増えたからかなーと思ってる、アタシは。

そんでもってこのDID界隈でたまに話題になるのが『似非の存在』ってヤツ。
「似非議論」とか「似非解離」とかそーゆうのが時々話題に上がるとゆーか。

Twitterやってると「似非議論反対です!」「似非とか関係ない!十人十色!」「仮に似非だとしても、その人がツラくて生きるために必要な嘘なんだから良いじゃん!」みたいに主張する人をよく見かける気がする。

で、今回はその『似非DID』という存在と、『似非だとしても本人がツライなら嘘でも良いじゃん!』という主張に対するアタシの自論を書こうかなって思います。

※この記事で扱われる「DID」という単語は、解離性同一性障害と解離性障害両方の名前を含んでいます。
理由として、本来のDID(Dissociative Identity Disorder)は、解離性同一性障害そのものを指しますが、DIDは解離性障害の中の症状の一つのため、人によってはDIDであったとしても「解離性障害」とのみ診断されている場合があるからです。
以上のことを踏まえて記事をお読みください。

まず「似非」とはなにか

そもそも「似非」って何なの?って話。
ネットの辞書で調べると下記の感じで出てくる。

似てはいるが本物ではない、にせものである、の意を表す。「—文化人」「—学問」(小学館 デジタル大辞泉より)

まぁ、要は「そうでない物とか人」って事よな
表現ムズカシイけど、ガチのDID当事者は「自我の同一性が解離し、人格がいる状態」で、似非DIDは「一人の人間がやっている人格ごっこ(演技)」って感じかも?

でもぶっちゃけDIDにおける似非の定義って人によって違うからムズカシイんだよな。

未診断の人のことを似非って言う人もいるし、記憶が繋がってるなら似非って言う人もいるし、変わった特徴持つ人格がいるんだったら似非って言う人もいるし…。

まぁ色々あるんだけどさ、とりあえずアタシの中での似非の定義は

「人格がいるような演技をする人(人格ごっこ)」
「タルパなど、明らかDIDではないのにDID(解離性障害含む)の障害名を使う人」

かな。
ただしこれは「診断の有無は関係無し」が前提
診断無くてもガチの人はいるし、逆に診断あっても似非って人も過去にいたから。

あと、ぶっちゃけ思春期で不安定な時期の中高生とかにも多いと思うけどね、似非って。
特に今じゃネットですぐ検索とか出来ちゃうから、DIDの「多重人格の面だけ」に憧れ抱いちゃうとか羨望しちゃうみたいなのあるんじゃない?

とりあえずこの記事での似非は、上記の2通りの人を指すって事で読み進めてね。

似非に対してどう思うか

アタシはぶっちゃけ「似非はイヤ」ってタイプです。

ついでに言うと
「『あくまでもDIDは障害』である事を理解しておらず、人格がいる事=DIDと勘違いして『自分も人格がいるからDIDだ』と主張する」といった人も苦手だったりする。
でもこれは似非とかとまた違う話だから別の機会に話すことにしよっかな。

似非に対して良い感情は抱かないし、寛容にもなれない。
だけど、アタシ自身は基本的には「この人似非だな」とか思いながら接するとかはしたくないし、相手が似非だと言われるような要素※のある人だとしても「この人どうだか分かんないけど、とりあえずは何も思わずに仲良くしたいな〜」みたいな意識で普段過ごしてます。
接していくうちにあれ?って思うこともたまにあったりするし、もしかしたら長期に渡って接していくうちに「もしかして違う…?」って疑っちゃうこともあるかもだけどね。
※似非だと言われる要素(Twitter等ネットから引用)…人格名がキラキラネーム的なヤツ、人格の年齢が皆んな同じくらい、趣味がほぼ皆んな同じ、幼児人格がネットを駆使する、人格がキャラクター性強い、Youtubeやってる人に関しては人格全員が動画に出ている等

おかしいよね。
似非はイヤって思ってんのに、そうかもしれない人でも仲良くしたい、とか、疑いたくない、なんていう矛盾抱えてんの。
アタシも寛容になれたらなとかは思うことはあるんだけど、でも本能的に拒否しちゃうんだから仕方ないよね。

それと、なんか最近じゃ似非に対して寛容じゃない意見を言えば炎上やら叩かれかねない空気を感じる。
ショージキ怖い。

だけどね、それでもアタシの
「ツライ人生歩んでいる事実は、障害と偽っていい理由にはならないだろ」
って考えは変わらない。


DID(解離性同一性障害)における障害の具体性

DID(解離性同一性障害)を「ただの人格が沢山いる人のこと」って風に勘違いしてるのかは知らんが、「障害」って部分をガン無視してる人間多すぎない?
「障害」っていうからには、人格がいる事によって起きる支障・障害があるわけ。
それ分かってる人どんくらいいるの?


よく聞く「記憶がなくなる」とか、「他人格がやらかす」とかは典型的パターンすぎる。
アタシらみたいに記憶が一部繋がってる人もいれば、皆んなやらかし起こさずに人格間だけで見りゃ割と平穏に過ごせてる人もいる。記憶が繋がってなくても、それ自体では実はそんな困ってない(あまり気にしてない)という人もいるしね。

それよりも
「どこか行きたいと思っても交代の事考えると怖くて外に出られなくなる」とか
「DIDの事を隠している仲の良い人に会いたくても会えない事により孤立化が進む」とか
「仕事したくても解離のこと考えると出来ない、出来たとしても仕事内容がかなり限られて収入面が不安定になる」
とかっていう「人格の存在を考えなければいけない」という点で支障が出る人が多いと思う。
事件性とかがあるわけじゃないから、一見地味ではあるんだけど、これは日常的に起きて積み重なっていくものだから精神的にかなりくる。

他にも
「記憶が繋がっている、もしくは別人格の記憶が流れてくる故に精神的に苦しむ」とか
「自分の物ではない感情や考えがドッと流れてきて制御出来ずに疲弊して動けなくなる」っていう精神面の事とか。
さらに言えば人格ごとでの治療や薬が違ったり、人によってはEMDR治療を行ったりと、「医療的な面で」金銭に負担が掛かったりする当事者だっている。

そういった事で悩んでいる、シンドさと闘っている人からすれば
「人格沢山いると楽しそう、寂しくなさそう、憧れる」
「私もツライ思いしてるんだし、人格作ってDIDって名乗ってもいいよね」
みたいな安易な考えでDIDになりたがる(似非)人間を快く思わない当事者もいると思う
(主語をデカくしたくないから確定ではない)
でも少なくともアタシらは快く思わない派だよ(まぁ、何も思わんメンバーもいるっぽいけど)


人格がいる故に起きる悩みは統合で解決するか?

「じゃあ人格いることで悩んでるなら、人格全部統合すればいいじゃん。なんでやんないの?結局困ってなくて、人格いるのが楽しいからなんじゃないの?」
って思った人いるんじゃない?


はい、その考え今すぐ捨てろ、今すぐに。

当事者には「人格がいる事でなんとかここまでやってきた」「人格がバラバラでないと生き延びれないから全て統合せずにいる」って現実があるんだよ。
統合は「バラバラに解離させる事で封印していたトラウマや記憶を全て一つに集結させる(元に戻す)」という事。
統合前みたく人格ごとに分散って形が取れなくなるから、人によっては尚更生きるの詰む可能性がある。
あと、統合した後も「再分離」っていって、再び解離起こして統合してた人格がまた出てきたり新しい人格生まれたりする事あるし、統合前より症状悪化したりもあるから、「統合すれば全て解決」とかいう簡単な話じゃない事をこれを読んでるなら知って欲しいし、忘れないでほしい。
統合するよりも共存の方がなんとか生きられる、それ故に敢えて共存を選んでいる人もいるんだよ。(勿論、共存する中でも統合が必要な場合はあるけどね)

なろうと思ってなれるのなら障害じゃない


それと、こんな事言うと特別感出してる的に思うかもしれんけど、DIDってうつ病とかの精神疾患なんかよりも一般的じゃない
要は簡単になる病気じゃないんだよ。
だから研究だって進んでないし、未だに存在を否定する医者だっているわけ。

別に、よく言われる「当事者のほとんどが性的虐待や、性被害に遭っている」的なのが当事者に100%当てはまっているとは限らないし、身体や精神的な虐待、虐め…要因は他にもあると思う。


でも、じゃあ虐待や被害、虐めに遭った人が全員DIDを発症してますか?って話なわけ。
全員発症なんてしてないでしょ?してたら世の中とっくのとうにDIDまみれになってるよね。

つまり、いくらツライ過去があってもDIDを発症しない人はしないの。
「その人がツライなら嘘でもいいじゃん」みたいなのは一見寛容に見える発言だけど、それは「似非」を間接的に増やして、障害を誤解や偏見へ導くだけなんじゃないかな。
「DIDは理解されにくい病気」って言うけど、その「理解されにくい」という原因に間接的になっちゃってんの。「嘘(似非)でもいいじゃん」発言を主張するっていうのは。

「ツライという事の表明」としてDIDという存在や病名を悪用すんのマジでやめろって思う。表現の自由とかそういうレベル越えてる。


それと「DIDはなろうと思ってなるもんじゃないし、人格は心の防衛本能によって生まれるもの」だから。
なろうと思ってなった時点でDIDじゃねーんだよ。もっと言えば「なりたい」なんて考え持ってる時点でもう違う。
なりたくてなるなら病気じゃねぇ。

あと言っておくけど、アタシは何も「その人のツライと感じている事実」まで否定はしてないからね?
さっきも言ったけど
「ツライ人生歩んでいる事実は、障害と偽っていい理由にはならないだろ」
っていう自分の考えをこうして書いてるだけで、事実の否定は一切してないよ?そこ勘違いしないでね?
(まぁ、最初に読むの自己責任って書いてるから具合悪くなろーが、どうなろーがアタシはしらん)


「DID羨ましい!私も人格ほしい!」とか思ってる人は、意図的にキャラ作り出してごっこ遊びする「タルパ」って界隈で「タルパーです」って堂々としてりゃいいじゃん?(タルパ作ってる人をタルパーっていうらしい)

ただ人前で人格ごっこしたいんだったら、わざわざDIDとか解離性同一性障害って障害名使わんでええやん。なんでわざわざ障害名で名乗ろうとするの??
あー、それともあれ?「解離性同一性障害を持ってる特別な自分」に酔いたいのかな?笑

あのな、DIDは病気だ。
「公で人格ごっこしたい時の免罪符」じゃねぇんだよ。

DIDと障害年金の申請

あと個人的に思ったのが障害年金の事について。

たまーに見かけるの。
「解離性同一性障害でも年金通るようにしろよ!」って言ってる人。
これ、「似非でもツライなら嘘ついてもいいじゃん」ってなってるこの現在じゃ絶対ムリだし、絶対通るようにしちゃいけないでしょ。

だってDIDで年金通るようになって、偽ってる人間までDIDで申請して年金もらうって事になったらまさに『詐病』になるわけよ。
「DIDで申請出来るようになったとしても、診断済みの人しか申請出来ないだろーし、いいんじゃないの?」って思うじゃん?
違う、ぶっちゃけ診断済みとかって信用なんない。
だって、明らかDIDじゃないだろって人間が解離性障害の診断貰ってたりしてる事例を知ってるし、DIDとかじゃなくても精神疾患装って障害年金を貰っている人間の話も知っている。

要は精神疾患って医者の前で簡単に装えてしまうものなの。それが具体的な鬱状態とか自殺衝動とかの症状のエピソードとまた違い、「別人格がいる」という部分に焦点を当てているDIDだったら尚更。


今の段階じゃ金銭的な疾病利得が絡まないから、DIDと偽ってるのは虚偽性障害の「病人そのものを演じることが目的」みたいなのに当たるんだろーけど、これで年金とかの金銭絡んだらいよいよ詐病だし、年金目的で多重人格の演技をやり始める人が出ないとは言えないっしょ。

まぁ、あと基本的に障害年金での審査対象は『うつ病』『双極性障害』『統合失調症』※の「精神病」で、その他の精神疾患は解離性障害(DID)も含めて全て「神経症」で対象外だよ。
でもDIDなら他に何かしらの精神病とか併発してて、DIDしか診断ないなんて事ありえんのだから、DIDで年金通るようにしろなんて言わずに併発してる精神病で申請すりゃ良いじゃんって話

※正確には「統合失調症、統合失調症型障害及び妄想性障害」「気分(感情)障害」(国民年金・厚生年金保険 障害認定基準より)

[最後に]DIDと似非の存在はアンハッピーセット

まぁ、取り敢えずそんな感じでDIDの似非に関する事について色々とアタシの考えを書いたわけだけども。

過激だね、うん、スゲー過激、文面キッツ。
だけどね、こんくらいハッキリ言わせてよってね、思うワケ。特にこういった話なら尚更。
わざわざ気を遣うなんて事しないよアタシは、このnoteの最初の投稿でも言ったけど。

でね、最後に言うと、DIDに似非って付き物なの。
超最悪なアンハッピーセット。
DIDはなりたがり(似非)にとっては、自身の欲求を満たすおもちゃでしかない。
それはこの先、ずっと変わらないと思う。
(多分人類全員が「病気に羨望を抱くのはおかしい」とか「DIDは障害であり、なろうとしてなるものではない。嘘をついて名乗るなんてもってのほか」とかって考えるようにならない限りは笑)

で、はじめの方の「まず『似非』とはなにか」でチラッと書いた「思春期で不安定な時期の中高生」とか、「似非に対してどう思うか」で書いた「人格がいるから自分もDIDだと主張する人」とかなんだけども、これらについては色々と考えつつ、またいつか別の記事で書こうかと思います。


ここまで読んでくれてありがとうございました。
それでは、Samanthaでした。
バイバイ👋

(Samantha)

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