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#265 本多清六に学ぶ!人生経営 「理不尽との向き合い方」

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

昨日からお届けしている「本多清六に学ぶ!人生経営シリーズ」です。

「人生の最大幸福は職業の道楽化。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない」
これは、日本の明治〜昭和時代を生きた本多清六の言葉。

東京帝国大学農科大学教授をしながら、日比谷公園、明治神宮、国立公園、行路樹の設計改良、都市計画委員、庭園協会の会長などを兼ね、秩父セメント、田園都市、日新ゴムなど多くの開拓植林事業も手掛けた本多清六は、その生涯にわたり、洋行19回、その足跡を6大州に印し、数にして370冊以上の著書を出版しています。

そんな彼の人生録を振り返った本の一つが「私の財産告白」で、よく生きるためのエッセンスが本当に多く散りばめられた本です。

昨日は、25歳から85歳にわたるまさに半世紀以上の期間、「毎日1日1頁以上の執筆活動」と、「4分の1天引き貯蓄」に努めた習慣から、身をもって教えてくれた「続ける効能」について、まとめてみました。

今日は、また別のエピソードを紹介しつつ、「対人関係における理不尽との向き合い方」に関して整理していきます。


学士会の寄付金を端を発した辞職勧告騒動

本多清六の大学奉職中、東京大学を中心に学士会館創設の議が起こり、教授、助教授から寄付金の募集がかかりました。

本多清六は、「これくらいが相応だろう」と考えて金一千円の寄付を申し出たのですが、これが多過ぎるという理由で問題になります。
他の教授陣からすれば「我々は俸給の中から、五円、十円の月賦にして、五十円、百円ですら出しかねているのに、なぜ一介の教授がどうしてそれほどの一時金が出せるのか?」という疑念が沸き起こったからです。

現代の価値に置き換えると、月30〜50万円の収入が相場の世界で、300万円、500万円の寄付金ですら躊躇しているところに、本多は5,000万円の寄付金の申し出をした、と考えると、少しリアルに感じられるでしょうか。確かにそのような思惑がかかるのも、無理はないと感じます。

結果として「本多の奴は、きっと何かの投機でもやっているに違いない。けしからん、学者の風上にも置けない」と物議を醸し、辞職勧告状が持ち込まれる事態になりました。しかも、代表として辞職勧告を持ってきたのが、先輩にあたる横井時敬と子分の長岡宗好だったということで、本多清六は唖然としてしまいます。

その後の経緯がどうなったかと言うと、昨日もご紹介したように、本多清六がいかにコツコツと「4分の1天引き貯蓄」に努めてきたか、ということを、本多の家まで二人を連れて帰って説明し、またその証拠となる家計簿を示して弁明したことで解決したのですが、このエピソードから2つのことを振り返っています。

全く理不尽な話の中に、自分の反省点を顧みる

この話、表面的に見れば「自分が日々努力してせっせと貯めたり投資して大きくした財産があって、できるだけ大きな寄付金で貢献しようとしていたのに、逆に妬まれて学者に相応しくないから辞めろ」と言われた、ということで大変理不尽な話に聞こえます。

他人の、しかも昔の話だから「ひどい話だ」くらいで受け止められますが、例えば自分に置き換えると、「他人よりも必死に何年も勉強して、ようやく受かった試験なのに、あいつはズルをして合格した」と言われるとか「仕事に真剣に打ち込んで、多少の犠牲を払いながら努力して出世したのに、あいつは能力がないのに上司にヘコヘコして出世した」と言われているようなもんです。

自分としては王道を地道に貫いた先に築き上げてきたものを、他人の妬みや僻みにより、「なんとなくあいつはいけ好かない」とネガティブに捉えられるという点で、「何とも理不尽である」という感情を持つのが自然な感覚でしょう。

しかし本多はこの一件を今一度深く掘り下げて考えてみたときに、これは単なる寄付金の大小の問題ではなく、同僚間の日常的な関係性に大切な反省材料があった、と振り返っています。また、人が集まって一緒に何かを進めていく上では、こうした些細なことにも、一応気を配る必要があるという事実に気付かされた、と反省しています。

例えば、よくよく振り返ってみると、辞職勧告を代表して持ってきたのは、本多の先輩に当たる横井時敬なわけですが、普段から大学の講演などの機会で、本多は横井に対して、いわゆるマウントを取ってしまっていた場面があったという点。

教授が順番に講演機会を持つ場面で、プレゼンが上手な本多が会場の雰囲気をグッと高めた後で横井のプレゼンの順番になるのがやりにくいということで、横井は「君の後だとやりにくいから、順番を変わってくれないか」とお願いしたこともあるそうなのですが、「まさか先輩を前座にして、自分が真打をやるわけにはいかない」とし、頑なに順番を変わらなかったそう。
若気の至りというか、本多にも未熟不徳なところがあったわけで、よく振り返ると「自分はすごい」みたいな奢りの気持ちがあったと振り返り、普段から相手にばつが悪い気持ちをさせていたことから、今回の件に繋がった点を猛省しています。

自分の視点から見える世界では全く理不尽に見えることも、視点を相手に持っていくと「必ずしも100%相手が理不尽である」というわけではないこともある、ということを同時に教えてくれています。

孫呉の兵法にみる応対方法

横井が辞職勧告の話を持ってきた時、本多は勧告理由の当否は別にして、旗鼓堂々と押しかけてきたので、正面衝突してはこちらが負ける、と悟りました。

孫呉の兵法にある「対手が必勝を期して乗り込んできたのだから、まともにはその鋭峰を防ぐべくもない。まずは相手に勝たせておいて、勢いが緩んだところでこちらも新手を繰り出そう」という考え方です。

私もこれまで仕事をしてきて、明らかに理不尽だと感じていることを、とにかく頭ごなしに言われる経験が何度かありましたが、そこでこちらも感情的になって言い返しても好転しないことが多いというのは、その通りです。

本多は、腹に力を入れて冷静に努め、「わざわざおいでくださったことに感謝する。特にご勧告の理由の大部分はごもっともで、大いに胸に応えるところ。しかし、中には二、三誤解もあり、弁明したい。しかしそれは後回しとして、甚だ遺憾ではあるものの、身から出た錆だと思って、ご勧告に従い、辞職を受け入れる」と返しました。

それを聞き勝ち誇った二人は、「君がおとなしく、我々の忠告を聞いてくれた以上は、君の誤解だという言い分もハッキリ聞いておかねばならぬ」ということで、「弁明の証拠物件は自宅にあるから、ご迷惑ながら一緒にうちにお立ち寄り願いたい」ということで、先に述べた自宅での弁明につながるのです。

ここも、はじめに「相手の話を受け入れる」という姿勢を見せていなければ、「お前の家に言っても無駄だ」となり、弁明を受け入れられなかったことは容易に想像が付きます。いくら正しいこと、事実を主張しても、感情がそれを受け入れられない以上、ことが好転する見込みは低いです。

さらには、自宅に二人を連れ帰って証拠と共に弁明したのちには、横井に「わかった、降参するからよしてくれ」と言われたところに畳み掛けて「弁明はこれでやめるが、学者である二人も倹約生活の実証が必要だから、倹約麦酒会に参加してもらおう」と言い、冷肉・冷菜でビールだけはふんだんに賑やかに振る舞う、ということを始めます。

そして自宅でヘベレケに酔った二人を、今でいうタクシーに乗せて丁寧に送り届けるという礼節を尽くしたことで、はじめに来た鋭峰をいなし、大きな恩で返す、という返しをしているんですね。

鮮やかとしか言いようがないですし、誰にもできる術ではないと思うものの、このエピソードからは、理不尽との向き合い方のエッセンスが詰まっています。

自分に槍が向いた瞬間、どんなに理不尽な槍でも、理不尽は立場によって100%の理不尽にはならない、槍に対して感情的になってしまうが、そんな時こそ冷静に、まずは相手を受け入れるスタンスを見せて、大きな恩で返り討ちにする。
上級テクではありますが、「理不尽に対する選択肢の一つ」くらいで知っておくだけでも、理不尽に対する向き合い方が変わると感じたエピソードです。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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