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#269 本多清六に学ぶ!人生経営 「昇進とマネジメント」

いかがお過ごしでしょうか。林でございます。

不定期でお届けしている「本多清六に学ぶ!人生経営シリーズ」です。

「人生の最大幸福は職業の道楽化。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない」
これは、日本の明治〜昭和時代を生きた本多清六の言葉。

東京帝国大学農科大学教授をしながら、日比谷公園、明治神宮、国立公園、行路樹の設計改良、都市計画委員、庭園協会の会長などを兼ね、秩父セメント、田園都市、日新ゴムなど多くの開拓植林事業も手掛けた本多清六は、その生涯にわたり、洋行19回、その足跡を6大州に印し、数にして370冊以上の著書を出版しています。

そんな彼の人生録を振り返った本の一つが「私の財産告白」で、よく生きるためのエッセンスが本当に多く散りばめられた本です。

これまでの記事では、「続ける効能」および「理不尽との向き合い方」について、ご紹介してきました。

今日は、「昇進とマネジメント」編として、主に仕事の中のヒントになるエピソードで私が印象に残った点から考えたことを幾つかご紹介していきます。


仕事上の遠慮は一切無用

本多静六が1つ後悔しているエピソードとして挙げられているのが、教授昇格の推薦を受けた時に一度断っていることです。

断ったのは、自分を教えてくれた助教授の先輩よりも先に自分が教授になることへの遠慮があったようで、「自分のごとき若輩が、教えを受けた先生の上に立つのは心苦しい」とあまり深く考えずに拒否しました。

拒否してしばらくは、自分は善事を行った、という気持ちで自己満足に陶酔していたらしいのですが、その後大学予算縮減が行われ、結果として、先輩たちの教授昇進が遅れ、続く自分も長い間、お付き合いで昇進できない日々が続いたそうです。

一時的な侠気を出して、つまらない謙遜をしたことで、8年間の助教授の間、本当にバカなことをした、と後悔しました。また、その間に年下にも抜かれて密かな悔恨がより強くなったとのこと。

このエピソードは、果たして自分に勤まるだろうか?と自信がない時にもやってしまいそうですね。
しかし、いかなる職務、場合であっても、与えられた地位は引き受けるべし、という話をされています。

この話は、私自身もすごく共感するところがあって、先日の記事でも紹介したのですが、私も管理職任用の話が来た時に、最初は結構断っていたんです。
理由は、周囲への配慮とか自信のなさではなかったのですが、管理職になると雑務が増えて、本当にやりたい仕事をのびのびとできなくなってしまうのでは?という懸念でした。

しかし、実際に管理職のポジションについて感じているのは、明らかに管理職の方が自由度が高く、自分がやりたいことがのびのびできる、ということです。
これは、実際にやってみてはじめてわかったことで、得てして当事者になってみないと分からないことばかりであると感じたエピソードの一つになっています。

以前、女性管理職比率向上は、どんどんやるべし!と考えている理由について記事にしてみましたが、組織として女性管理職比率を上げようとする動きがある中で、管理職任用の話が来ても、ちょっと躊躇してしまう方もいるんじゃないかと思います。

でも、これもいかなる職務、場合であっても、与えられた地位は一旦は引き受けるべし、を基本スタンスでするので良いと思っていて、実際にならずに見えている景色は、そのほんの一部でしかない、なんてことはザラにあります。

一旦引き受けて、ダメだったらやめればいい、くらいの気持ちで、昇進や何かのプロジェクトの責任者を任されるなどの場面に遭遇したらトライしてみるのが良いと。

一度見送ったボールは、再度同じコースに飛んでくることなどは現実世界ではほとんどなくて、チャンスは今だ!と思った時に掴まないと次にやってくる保証はありません。

「仕事や役割を引き受けたとき、とにかく自分なりに一生懸命やるけど、失敗したら任命した方に責任がある!」くらいの気持ちがちょうど良いと感じています。

マイクロマネジメントの本質的な意味とは

そうして何かの組織やプロジェクトの責任者になった時のマインドセットに関する話です。それは「人を使う者は使われ、人を監督する者は監督されている」ということです。

「上司が部下を理解するのには3年かかるが、 部下は上司を3日で見抜く」という言葉がありますが、これは本当に感じるところです。

マネージャーになってから、自分の一挙手一投足が常に見られていて、下手なことできんな、て感じる機会が増えました。
何か意見を求められたら即答できないとダメだと思っているし(もちろん、分からない時にはきっぱり分からない、ということも大切)、そのためには普段から色々考えを巡らせておかないと太刀打ちできないんですよね。

でも、このあたりも、自分のチームを持って見られている感覚があるからできている部分もあって、自分の仕事はメンバーの育成にありますが、一番育成させてもらっているのは、マネージャーである自分自身だと感じています。

で、本多清六も言っている、責任者になった人が第一に気をつけるべきことは「自分の知識や経験をことごとに振り回さないこと」です。
それをやってしまうと、「大将がああいうから、そうしておこうではないか」と、大将の意向を伺って、それを拠り所にした決定に頼ってしまうようになります。
そうなると、メンバーは工夫の努力を欠き、すべての責任を大将に転換する気持ちになり、部内を活気ない雰囲気にしてしまいます。

しかし逆に、「責任はすべて負う。仕事は君らに一任する。何でも思うようにやってみたまえ」と言うと、メンバーはかえって自分に責任を感じ、自発的に創意を凝らすようになります。大事なことはいちいち相談に持ちかけてきて、大事に至らないようになり、活気に満ちた組織になります。

ここで大事なのは、マイクロマネジメントの本質的な意味を考えることだと感じています。

マイクロマネジメントとは、箸の上げ下げから全て教え込んで、大小問わず意思決定を現場に委譲せず、全て自分でやるんだ、という意味だと解釈されているのをたまに感じますが、実はそうではない、というのが私の意見です。

そうではなく、マイクロマネジメントとは、現場で起こっていることをよく観察すること。そして、問題が起こったときには、それを自分の言葉で他者に説明できること、だと考えています。

現場をよく観察しているからこそ、メンバーに何か聞かれた時には、的確に回答ができるのであり、メンバー側としては「何も知らないと思っていたら、そんなことまで知っている。これは油断がならない」と感じるのです。

ここの適度な緊張感は大事です。これがないと、マネージャー側もメンバー側も、自分たちがやっていることを適当にやってしまうので、お互い成長がありません。

だから、何でもかんでもマネージャーが決めて、やり方も全て指導する、というのは実はマイクロマネジメントの誤解です。そうではなくて、現場の実態をしっかり観察し、何かあった時に自分の言葉で説明できる状態にしておく。メンバーも親分は何も言わなくても、自分たちをちゃんと見ていると感じさせるのが、マイクロマネジメントの本質だと考えます。

それでは、今日もよい1日をお過ごしください。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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