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意味を見出すことをよくしてしまう

最近というか、少し前に、身近な人に自分の長所とか短所を聞いた。その中で、前向きだったり、意味を求めたりという部分を自分の長所としてあげてもらったので、それを考えてみたい。

・無意味を好まない
自分の行動に何か意味を見いだして、成長し続けようとするのはすごいと思う。noteにしろ、読書にしろ、「自分が成長できそうだな」って思ったことを継続できるのは本当にいつもすごいなと思う。

僕自身、これは意識している。

基本的にやるなら、楽しみたいとか、自分の中でなにか学びを得たいとかって考える。だから、いつも何かをしたら必ず何かを持って帰ることが頭の中にあるんだと思う。

今やっているインターンの仕事に対しても同じで、面白いものもあれば、面白くないものもある。でも、やっぱりなにか学びになるところはないか、楽しいところはないかを考えている。

この意識は、大学一年生の頃から持っていたと思う。大学受験を通じて、「もっと意味のあることを知りたい」、「自分の役に立つことを知りたい」みたいな欲を持つようになった。

そこから、何をするにしても、何かの意味を求めるようになった。そうすると、前向きになれることも増える。

たとえば、僕は、大学の経済学部の講義に興味が持てないで、はや3年が過ぎたのだけど、経済学部の講義に興味が持てないから、違う興味があることを探そうってなった。

大学生活になにかの意味をもたせたくて、長期インターンを始めたし、いろんな記事を読んだり、本を読んだりするようになった。

周りには、自分の学部の講義や内容が面白くて、それを生き生きと話して、やりたいことを笑顔で語る友人がいる。それこそ、新しいおもちゃをもらった子どもみたいに。

僕は、そういう姿を見て、純粋に羨ましさを感じる。

「大学の学びと、やりたいことがつながるって良いな」。

自分にはないものを見て、憧れる。シンプルに「良いな」ってなる。そんなふうに楽しく講義を受けれたら良いのにとも思う。

もちろん、経済学以外に受けた講義には面白い講義もあったし、楽しく講義を受けた経験も少しはあるから、後悔はないのだけど。

それに、興味が持てなかったから、今の楽しみや意味が見出せたと思うと必要なことだったんだなと思える。その意味では、経済学部だったことに意味があったのだ。

こうしたことからも、日々に意味を求めることはとても重要だなと思う。それに、意味を自分でつくるということが何よりの楽しみな気はする。

この前、「いつも誰かと会うのに電車で出かけるの大変だよね」と恋人に言ったら、「人に会うまでの移動時間は、プチ旅行の気分なんだよ」って話していて。

会うまでの移動時間をただの移動時間と捉えるのか、プチ旅行と捉えるのか。

同じ事実や時間でもその解釈や捉え方を変えれば、こうもステキで幸せなニュアンスや意味合いを醸し出すのかと思った。

日々の何気なく、つまらないなと思う時間も、違う名前を与えたら、もっと楽しいものになるのかもしれない。そういう、意味を与えるということが小さな幸せにつながるのかなと思った。

もしかしたら、こうしてnoteに書く時間も、だれかのきっかけや発見をつくる時間なのかもしれない──。

自分なりの意味を考えること。これからも大事にしたい。



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