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あの鹿は流星を知らない

この頃写真をめっきり撮らなくなった。自分が見た景色を眼に焼き付けるようになった。
自分が撮りたいと思う瞬間は、未だ知らぬ何処かへ連れて行ってくれる景色なのかもしれないと考えるようになった。

僕には写真家の友達がいる。写真を始めるきっかけも彼だった。
どこに行くにも彼がいて、僕は彼から譲り受けたCanonのEOS5 QDというフィルムカメラを首からさげてバシバシ撮っていた。そんなに撮るの勿体無いよ、としばしば言われていた僕はいつもへへへと楽しく真剣に撮影していた。

あの時もEOS5 QDを持っていた気がする。
数年前、僕はペルセウス座流星群を見た。

その日は霧がかっていた。あまりにも雲に覆われていたので、一旦寝て起きたら晴れ間が見えていた。
無数の星たちが僕たちを出迎えた。
興奮を抑えきれない僕たちは寝っ転がって天を仰いだ。

友人と見た閃光は今でも目に焼き付いている。
思わず出た声。互いに見合わせて、今の見たかと誰もいない山の中で静かに騒いだ。

数年経って、自分たちの状況は大きく変わっていった。旅の仕方も少し変わった。
僕は段々フィルムでもスマホでもカメラを構えることが減っていった。
そして今回が2度目のペルセウス座流星群だった。

普段使っているカメラとレンズを置いてきて、あの頃と同じようにEOS5 QDを片手に向かった。まだ撮りきっていないフィルムが入っていて、フィルム窓から覗くBlack&Whiteの文字。いついれたのだろうか。

久々に写真を撮る気がしてそわそわしていた。とは言っても春頃も撮っていたはずで、その記憶が薄いのが少し淋しかった。

松本駅から車で向かった。僕らは23時に山頂に到着して様子を見ながら待機していた。あいにくの曇り空だった。
駐車場で待機しながら、時々見えた小さな晴れ間から流星が駆け抜ける。静かにそれを見つけ眺めていた。

その後本格的に場所を決めて、風の向きや湿度や温度の変化を体感で感じながらその都度晴れ間が見えるのを期待して待ち続けた。

気温は19℃、湿度はまあまあだった。
予報だと1時過ぎには晴れてくるそうで、僕たちはひたすら待機して、寝っ転がったりした。

しばらくすると急に気温が下がり、湿度が上がった。まずいな、と話しているとみるみるうちに霧が見えてきた。2時頃だった。

辺りを見回すと、限りなく無音に近い暗闇の中、慣れてきた眼に映る程の霧。これはもうお手上げだった。一旦車に戻ろうとすると一歩先しか見えないほど覆われていた。
こんな状況で僕は、自然の音しか聞こえない山の中で溶け込むように気持ちは穏やかだった。

この2回目に僕は何を期待していたのだろうか。

もう一度満天の星空の下、見たことのない景色に出会い驚きたかったのだろうか。日々の生活と離れた場所で穏やかにいたかったのだろうか。多分両方とも期待していた。

でも、本当はそんなことちょっとした余興に過ぎなくて、自分の感性を確かめたかったのかもしれない。琴線に触れる何かを求めて、それの反応によって自分自身に失望したくなかったのかもしれない。

人は一度体験したものやそれ以上のものを求めてしまう。あらゆる種類の体験を重ねれば重ねるほど、驚きが薄くなる。
でも、それは驕りだ。わかった気になっては本当に素晴らしい瞬間を取りこぼす。

今自分自身が見た景色を信じられないで誰が自分の感性を確かなものに出来るのだろうか。

目の前に壁があるような無音。
暗闇の中で慣れてくる眼。
視界を遮る深い霧。
呼吸にまとわりつく湿気。
些細な上下を続ける気温差。
汗と湿度で指が通らない髪。
草木の匂いも気付けば慣れてしまった。

僕は友人と2人で居るのに、ひとりの空間にいるようだった。物理的にも精神的にも。
この瞬間、僕の本来したかった旅が始まったのかもしれない。

そういえば峠道の道中、一頭のやや大きな雌の鹿に遭遇したのを思い出した。
動くわけでもなくじっとしていたが、とても美しかった。いろいろな場所で動物に遭遇してきたけれど、珍しく神秘的な気持ちになっていた。

この山頂でひとりになった僕はあの鹿のようにいられているんだろうか。
あの鹿は今もあそこに立っているのだろうか。
僕という個が大地と繋がるとはこの感覚なのだろうか。ちっぽけなのは自然の中の人間なのではなく、自身の心だったような気もしてくる。

一旦駐車場に戻るまでの数分間、この恐ろしいほど真っ暗で音の近い世界で、来た甲斐があったなとちゃんと思えた。

あの瞬間だけ、ただの生きている存在として居れた気がした。
普段の生活で考えさせられる生きるとはみたいな問いかけが、全てどうでも良くなるような尊い時間だった。なんて言えば良いかわからないけど、とにかく無心というか、禅の世界というか。

車に戻ると予報が3時頃に一瞬晴れると変わっていて、これがラストチャンスと期待した僕ら。
もうひとり友人がバイクで後から合流して来て、彼に状況を伝えると、無理して来た意味!とショックを受けていた。
とりあえず、車中でお菓子パーティーをして待っていたが、霧は深さを増して辺りはさらに真っ暗になっていた。

3人で川の字で車中泊。修学旅行みたいな会話をして、お菓子を食べて、我々は何をしに来たんだと笑いあった。あとから合流の彼に関しては星すら景色すら見れていないのが可笑しくて仕方なかった。

結局、ペルセウス座流星群は期待したようには見れなかった。それでも楽しかった。

後で聞いた話だが、後から合流した友人も道中で鹿と遭遇したそうで、きっと同じ存在を見たのだと思う。時間が経ってもその辺りにいたあの鹿は流星群の事なんてきっと知りもしない。自然とそこにいただけなのだと思う。

ペルセウス座流星群を見に行こうぜ。
この一言で集まった友人たちはたまたまそこに集まっただけだ。カメラを持ち出して撮影したのは星でもなく、景色でもなく、彼らの姿だった。

松千代
りょうま
水遊び
松千代
朝5時


僕は撮りたいと思ったんだ。他愛もない話をする彼らを。
きっと彼らを撮るというのは、僕にとっての未だ知らぬ景色に連れて行ってくれる何かなのかもしれない。

数年後の3回目にまた、もう一度。

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