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ベトナム戦争証跡博物館【東南アジア編14】

6/23

 この日は朝食を食べた後、すぐに近くのスーパーに行きコーヒーを買ってホステルの近くを散歩した。もし、このままベッドに行けば昨日のように二度寝してしまいそうだったからである。


ホステルの朝飯 
ここから食材選んで自分で作るシステム


目玉焼きをミスったらスクランブルエッグみたいになった。


 しっかり睡眠時間はとっているはずだが、疲れは多少溜まっているようだ。明日はゆっくり休もう。そんなことを考えながらホステルの周りを散策

 来た時にも思ったが、ホーチミンは街並みが落ち着く。

 洗練された部分もあり人々が生活している生活感もある。散歩していて非常に楽しい街だ。原付のクラクションがなければより最高なのだが

 軽く散歩を終え、ホステルに帰宅。出かける準備を終え、いざベトナム戦争証跡博物館へ

 ここに行くためにホーチミンに来たといってもよいほど、どうしても来たかった場所だ


「安全への逃避」
沢田教一さん撮影


 この写真を中学の資料集で見たとき衝撃であった。

 そこから軽くベトナム戦争のことについて調べた。
 すると、多くの一般市民が巻き込まれたこと。枯葉剤がまかれ、森が枯れたこと。枯葉剤の影響で心身に障害を持つ人が出来たこと。生まれてくる赤ちゃんにも影響があること。

 軽く調べただけでもこのようなことが分かった。

 広島を故郷に持つ自分としては起きてしまった戦争からは多くの学ぶべきことがあると強く思っていた。

 拙くなってしまったが、これが戦争証跡博物館に来たかった理由である。




 正直言葉にしたいことは多くあるが、それをきれいにここに記すのは難しいなので一言だけ残しておく。

 行ってみた感想としては、怖いだ。

 館内はベトナム戦争のことベトナムの独立のことなどのいくつかの展示場が分かれている。

 戦場カメラマンが当時撮った写真や終戦後の人々の写真の展示場を巡っているときに思わず泣いてしまった。その写真をここに載せることは控えておくが、余りにもリアルで残忍すぎる写真が並んでいた。

 そこには日本人写真家が撮影しているものも並んでいた。

 一般市民を無理やり連れていくアメリカ兵、命からがらにアメリカ兵から逃げる子供たち、早々の影響で四肢を失い顔もままならない人

 文字にするのも憚れるが、書いてみるとこのような写真が並んでいた。

 それらの写真を見て涙が出ると同時に遠くない過去でこのようなことが起こっている怖さが湧き出て怖いと感じた。


 戦争証跡博物館に行ったことについてはもう少し詳しく、率直に書きたいと思っていたが、自分の文章を書く力では難しい。自分に書く力がないことが悔やまれる。

 また、日本は終戦から今日にいたるまで、戦争に参加していない。それは日本国憲法の第9条によるものだ。なので、他の国で戦争・紛争が起こっていても正直自分事と考えることは難しい。

 だが、ぜひ現地に足を運んでみてほしい。そこでの率直な思いや考えがこのnoteを読むより大事なことであると私は考える。

 この後、晩御飯を食べに近くのブンチャー屋に行った。


ブンチャーとあげ春巻きとコーラ
105k(630円) 大散財


 その日の夜はずっと博物館のことで見て、聞いたものについて考えてた。


戦争は起きてほしくないが、もし日本が参加する戦争が起きてしまった時

自分はどのような行動を起こすのだろう。もし、戦闘員として招集された

場合どうするのだろう。そんな答えのでない起こってほしくない

ifの事ばかり考えて、気づいた時には寝ていた。



















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