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人との繋がり方

自分はそこまで人付き合いの悪い方ではないですが、連絡手段がメールと出ない電話なため、半ば自主的に鎖国状態となっています。


現在は様々なSNSがあり、遠くにいても近況がわかったり、連絡しやすかったり、互いの生活の距離感もグッと近くなっているのではないでしょうか。


自分はTwitterを情報収集の為にやってますが、リアルの繋がりはありません。
LINE、Facebook、Instagramはやってすらいないので便利さを知りませんが、LINEかFacebookはやっといた方がいいんだろうなぁとは一応感じてはいます。

便利そうだけどめんどくさそう。
note位の人の距離感が楽でいいかなぁと思います。

現代のSNSによる人の繋がりに関係あるなぁという一節が自分の好きな本の中に書いてありました。

喫茶店に入ると、そこにもまた、人の輪がある。情報交換というたぐいの会話。知ることによって安心し、知らせることによってホッとする。お互いに心の荷物をあずけあって、つながりあって生きている。見えないロープで、お互いにお互いを縛りあおうとしている。



一時期、繋がりとか絆という言葉もてはやされた時がありました。


決して無くていいものではありませんが、過剰でもいけないんじゃないかな、と感じます。
めっちゃ好きな人もいるし苦手な人もいる。


その繋がりによって、締め付けられている人をたまに見かけるので。
ママ友のグループ、学校のグループ、サークルのグループ。

引用文を最初に見たとき、凄い衝撃を受けました。

だってその時は確か、SNSといえばmixiが主流だった頃でLINEなんて存在すらしておらず、それでも凄い共感出来たから。

そしてこの文章が載っている本というのが、
1995年、平成7年に出された本なのであるということ。

衝撃を受けた時点で既に出版から10年以上経過していたなんて。驚きました。

喫茶店の集まりで見えないロープで縛られているとしたならば、今、この現在の状態は一体どういう表現になるのだろうか。

引用書籍

山際淳司著 みんな山が大好きだった(中央文庫)

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