理想の(コンテンツのある)世界_01

理想のコンテンツの流通ってなんだろう?

最近よく考えていることがあります。

それは、コンテンツを作ること、届けること、読むこと、話すこと、そういったコンテンツがどう世の中を回っているのかについてです。

無料であること

東京ドールを読む私も、SNSを見ている彼も、そして必ずあなたも、日々なにかのコンテンツに触れています。(なんと、今あなたは、私の書いた「コンテンツ」を読んでいます。)今、世の中には様々なサービスが溢れ、無料でコンテンツを読んだり、触れたりできます。しかし、無料であることは良いことなのでしょうか?

もちろん、無料とは素晴らしいことです。そもそも、中身がよく分からない情報の非対称性の中にあって、無料であることは、新しいものに触れるチャンスを私たちに与えてくれています。

でも、考えて見てください。この視点には、「作る人の視点」がごっそり抜け落ちています。無料であること、それは「作る人」にとってどのような意味をもつのでしょうか?

とてもとても当たり前で、それ以上に大切なことを言いましょう。それは、「物を作る」ということは大変な労力が必要ということです。

文字は、識字率が100%に近い日本人にとってもっとも簡単で、最も自由度の高い情報です。きっと物語を紡ぎたいと考えた時に、あなたの一番身近にいる存在でしょう。そこでまず、PCのワードでも、スマホのメモ帳でも結構です。なにか物語を書いてみましょう。

するすると、さらさらと、あなたの描きたい世界は、立ち現れたでしょうか?きっと、その答えはNOでしょう。頭の中に確固たる実感を持ったものが存在するのに、それを、文字という現実にくくりつけようとする時、そのギャップに悶えたことでしょう。もしくは、そもそも描きたいものが見つからなかったでしょうか。

活字で物語を紡ぐというある意味もっともシンプルなものですら、これほどあなたの労力を投下しなければならないのです。

では、それが、無料だったら?

どれほど良いものを作ろうという情熱を持っていようとも、それを「続ける」ことは難しいのではないでしょうか。

それでも私は面白いコンテンツに囲まれていたい。

私の願いは、日々ただ面白いものに囲まれて、生きていくことです。世の中に一つでも面白い物語、思考、読み物が増えることです。

そのためには、「コンテンツ」に関わる全ての人にとって「最も理想的な状態はどういったものなのか?」、「どうすれば理想的な状態を作れるか?(もしくは近づけられるのか?)」を考えていかなければならないと感じたのです。

どうやって考えよう?

一応、このコンテンツは、いくつか連続したセクションのようなもので、構成したいと考えています。

その考察とまとめの、根本の考え方は、「まずはシンプルに考える」です。

ちょうど、ミクロ経済学が、最も原始的な、交換から考え始め、そこから少しづつ現実の経済活動を説明できるように複雑さを増すようなものです。

ですので、次のセクションでは、一番シンプルに考えて見ることから始めようと思います。まず、登場人物からです。「コンテンツを作る人」、「コンテンツ」、「コンテンツを読む人」。最もシンプルな、この”構成”から始めます。


<end>あとがき</end>

一応、モデリングをするように考えていきますが、決して数式は出ません。




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