理想の(コンテンツのある)世界_番外編

作ること、探すこと、読むこと。

人間のあらゆる行為には、コストが伴います。
コストと聞いて真っ先に思い浮かぶのは、きっと、「買う」という行為のコストでしょう。
それはわかりやすく、「価格」と言う形で、コストが表されています。

多くの人は、この価格で表されたものをコストだと思っています。

しかし、価格で表されているのは、コストの極一部の中のごく一部です。

このコラムの一番最初に例に挙げた言葉で「物語る行為」を思い浮かべてください。
価格で表されたコストは何にあたるでしょうか?

・物語を書き留めるための紙の代金?鉛筆の代金?
・はたまた、メモ帳アプリの入ったスマートフォンの代金?
・いやいや、テキストエディットの入ったmacの購入費?

もちろんこれらもコストに含まれますが、それ以上に大きな大きなコストがあります。
当然「物語をつくるために考えるコスト」です。

3時間という短い時間であなたは、素晴らしい物語を大学ノートで書き上げることができました。
この時点であなたが支払ったものは、書くために選んだ大学の図書館までの交通費240円、冷たい缶コーヒー120円、そして大学ノート代とボールペン代300円、しめて660円。

では、ここで物語を考えるコストとはなんでしょうか?
脳内で消費した糖分の量?疲れたというカロリー消費?

これらも含まれるのですが、もっとわかりやすいものを、もっとわかりやすく「価格」で代替してみましょう。
なにしろ、数字というものの最も良い点は、はっきりしていて問答無用で”理解”させることですので。
このわかりやすいものとは、「時給」です。
つまり、この作品を作るために、費やした3時間で、あなたはいくら稼げたのか?ということです。
時給1,000円だとして、3,000円。
それがあなたが、物語るために、「得られなかった」価値なのです。

これを聞いて、なにも「払っていない」と答える方は、相手が「物語を吐き出す機械」でなく、「様々な選択肢を持った人間」であることを理解しなければなりません。
なぜなら、”選択肢なかったということ”を支払っているのですから。

誰しも後悔していることはあるでしょう。
・一つ前の信号で右に曲がっておけばよかった。
・帰りの飛行機を予約しておけばよかった。
・飲み会帰りのラーメンを食べなければよかった。

人は様々な選択肢をもっています。
そしてそれぞれの選択肢は、価格、というもので表現しきれるものだけでは、ありません。
その一つが時間です。

物語る人の時間は、決して無価値などではありません。
ただ、そこに価格をつけることが難しかったといだけなのです。
そこにイメージのしやすい、そして価格というものに代替しやすい時給を使えば、それが無価値などではないとわかるでしょう。

とはいえ、もっともシンプルに表せば、物語る人を目の前にして、あなたは、「なにも支払えるものはありませんが、3時間時間をください。ただし、私はあなたをみているだけで、何もしません。ちょうど、動物園のオリに入ってもらうようなものです。」と面と向かっていえるでしょうか?というお話なだけなのですが。

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