努力を知らなかった23年間。その果てに。(長文)

(夜散歩して思いついてそのまま徹夜でノリで書いたのでかなり読みにくいかもしれません)

突然ですがみなさん、努力はできますか?

僕はできません。生まれてこの方、した覚えがほとんどありません。23年間、何でも元から出来ることしかやってきませんでした。継続したことがありませんでした。極端な話です。すぐに満点を取れるものしかやる気が起きなかったのです。
なぜこのような極端な性格になってしまったか。理由はありました。



僕はこうして堕落した

読書家故のブースト


僕は物心ついた頃から本の虫でした。読書を始める年齢が早かったのです。土台の知識量は相当なものになります。小・中学生レベルの本なら、大体読者が小学校高学年レベルまでの知識を持っている状態を想定しています。もちろん、わからない箇所が出てきます。そうなれば、辞書で調べます。これを毎日繰り返せばそれが勉強の代わりとなり、小学生の知識を既に備えている小1が誕生してしまうのです。辞書で調べたりなんて言うと少し大仰に聞こえますが、現代に変換すればただの検索です。

気が付けば、底


そして、褒められることが大好きでした。
小学生低学年までは、宿題、テスト、学習態度、事あるごとに教師は褒めてくれます。それは大きなモチベーションでした。褒められる為に、積極的に教科書を読み、時には先の問題を解きました。しかし学年が上がると勉強そのものが当たり前になり、教師も生徒を褒めることが少なくなります。それに比例して学習意欲は下がって行きました。
思えばその頃から、事態は始まっていたのでしょう。
塾の宿題は膨大な量で、難解でした。たかが小中学レベルの読書家の前提知識程度では歯が立ちません。それでも怒られ、呆れられながら、塾を辞めたくない一心で鉛筆を走らせました。出来は及第点ギリギリでした。それでもまだ小学生時代は無双………とは、なりませんでした。好きな分野しかやらない、復習の代わりとなっていた学校の宿題すらサボり始めた小学生。当然、基礎が固まっておらず、割り算や分数に差し掛かると急にボロが出始めました。そのうち塾では及第点すら難しくなり、座席が成績順に指定されている塾で最後列になった時には一気にツケが周り、眼中にすらなかった小学校のテストの点は途端に右肩下がりに落ちていきました。中学の最初の実力テストでは、相当落ち込んだ覚えがあります。しかし自分はまだ目が覚めませんでした。そのうちイジメを理由に学業から目を背け、アプリゲームに没頭しはじめ、3年間が過ぎ、気づけば自分に残された高校は、

通信制のみでした。


「やればできる」という甘言


自分は賢い。才能がある。その気になれさえすれば何だって人以上にできる。過去の中途半端な成功体験は僕を、ライオンと思い込んだ猫とでも言いましょうか。そのように増長させ続けました。
そして本の虫だったのもあり、語彙力がそれなりに培われており、かなり弁が立つ方でした。側から見れば大人びた賢い子供に見えてしまい、当時の僕は過大評価を受け続け、親も鼻高々に僕を賢いと褒め称えました。やればできる。
その言葉は危険だとかつての塾講師が言っていたのにも関わらず、それを僕も、僕の親も、言い続けていました。ずっと。僕が、高校を卒業するまで。やる気になれさえすれば、だって、うちの子は、僕は、賢いのだから。と。
そして、現在。僕は…高卒の23歳。うさぎとカメと言う話がありますが、僕はこの話をどう受け止めれば良いのでしょうか。

「特性由来」の成果

僕の人生は、過集中、ノリ、こだわり、この3つでした。
書道で賞を取ることもあれば、塾のテストで好成績を収めることもありました。(このテストは少々特殊で、様々な能力を測るものでした)
その全ては過集中でした。
僕は事あるごとに過集中を発揮してその瞬間だけ無敵になり全てを乗り越えてきました。アレです。マリオのスター状態です。


他にもこだわり、例えば、一度取り組んだ問題は理解するまで何時間でも考え続けます。わからないと気がすまず、その特性のおかげでわずかな学習量でも理解を深めました。書道では一文字でも、または一筆でも気に食わないとまた最初から書き始めるので、最初の文字だけが上達していくと言う事もありましたが、そのこだわりのお陰で何回も受賞しています。

そのような特殊な成功体験を何回も重ねていくと、そのうち、その場のやる気さえ生じれば何でもできるという感覚になり、やる気を待ち続けるようになります。先程も書きましたが、「やればできる」思考に呑まれてしまうのです。そのうち、勉強に気が向けば、あっという間に周りを凌駕する成績を収めるだろう。僕は、そして周りも、そのように思い続けました。
しかし、いつまで経っても僕の気が勉強に向くことはなく、お笑いにのめり込み、さらに全く接点のなかった野球観戦にのめり込んでいました。気が向けば、を待ち続けることは、リスクの大きいギャンブルなのです。

雑話


ほんま駄文見てくれてあざす。
力尽きました。
まぁーもう思ったこと書きますね

それでもやるっきゃない。

それが全てなんすよね。
思えば小生の人生は小学生で止まったままです。

あ、生三つ言いたかっただけです。すんません。笑

再起動かけなあかんなーて。
まあ色々思いまして、少しでもやる気が出たらそれを少しずつ継続する
これを徹底しよう思いまして。いわゆる努力って奴っすわ。
好き!とは言えずとも多少興味あるなぁ程度でも味見にとどまらずちゃんと食べてみよう。半分でもええから。試食よりは味わかるから。と。
せやせや。

終わりに/リスタート、決心。


再起動かけます。
23歳。この年齢でこの現状。色々思うところはあります。
しかし、何にせよ、一歩踏み出せなければ、何も始まりません。一生僕は、幼少期のの束の間の栄光にしかしがみ付くことしかできなくなるのです。何にもつながらなくていい。何かをやり続ける。その経過、すなわち努力。その経験。僕の人生で足りなかったものです。それを今から、足していきます。その場のノリで過集中でやったこと、その集積の成果を期待するのではなく、努力する。そんな当たり前のことが出来ないままでは何も出来ないまま、僕の人生は終わってしまう。
それに気付いたからこそ、少しでもやろうと気が向いたものはちょっと、ずつやり続ける。
何でもいい。それが学問なら、毎日一問ずつ、解く、だとか。それが楽器なら、少しでも触る、だとか。そんな僕が今まで歯牙にも掛けなかった事をやる。例え過集中状態にならず集中できない状態だったとしても、やり続けたことに意味があると信じて、何かをちょっと、やり続ける。
一番できなかったことを敢えてやろうと思います。もちろん、本当は、仕事につながる分野にのめり込む方が楽です。のめり込めば勝手に確実に成果を上げられる程度の勉強量をこなしますから。でも、僕は自分が野球好きになるとは全く想定していませんでしたし、どこで何を好きになるかはそれなりに傾向はありますが、ランダムです。プロ野球好きになったのは元を辿れば高校野球の応援に親族が演奏するというもので、見たことが始まりでした。まあ、勝負事は好きでしたので、可能性はあったのかもしれません。
他には、一時、スズメガに夢中になりました。高校をサボって公園に行っていました。今もよく昆虫関連の動画を見たり、調べたりします。
何があるかわかりませんね。やはりランダムです。特性に振り回されるのではなく、特性を利用できるようになる。これが課題なのかもしれません。まあ、利用できないから障害、と言われるのかもしれませんが…まあでも、過集中の力がなくとも、全く集中できないわけではありません。そしてなんだかんだ考えているうちに、過集中にはなります。なりたくなくとも。
だから僕がやるべきことは、少し興味ができたものにちょっとずつ頭を使う時間を作る。
どこで興味が膨らむかはわかりません。もしくは、費やした時間の割には興味は薄いままかもしれません。なんなら次にできた趣味で全ては吹っ飛んでしまうかもしれません。
でも僕は、やってみようと思います。それを書くかどうかは、のちの僕の気分に任せます。





最後までお読みいただき、ありがとうございました。






































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?