見出し画像

職を変え、社員を辞め、個人事業主になるまでのあれやこれ

おはようございます。
大迫選手の大ファンの西岡です。高校時代から応援してるので昨日の試合は最高でした。

昨日の宣言通り今週は自分の話です。

今日は、働き始めてから今に至るまでを振り返りながら皆さんに知ってもらえたらと思います。

————————————————
学生時代からの「仕事」の遍歴
————————————————

高校から大学にかけてはハンバーガー屋、塾講師、バーでのアルバイトに就くものの、就職は飲食ではない広告業界へ。5年間営業として従事し、「いつかまたやりたい」と思っていた飲食の仕事へ転身。2つの和食のお店を経て、子供の誕生のタイミングで社員として働くのを辞め、広告業の個人事業と飲食のアルバイトを始め、2年後に間借りで日本ワインカフェを始める。

ざっとこんな感じなんですけど、学生時代は飲食に進む気はなかったんです。

————————————————
金持ちになりたいという甘い考え
————————————————

元々は先生になりたかったんですが、色々あって起業を目指すことにしました。その経緯はこちらから↓

今思えば若さゆえ、大義はあるものの、金持ちになることに重きがあり、最低でもその画を思い描きながら働きたかった。

飲食の仕事はやりがいはあるし、好きだし、やりたい仕事ではあったけど、お金持ちになれる画が浮かんでこない。加えていうならば、ITや広告系に進み、在庫を抱えない系の仕事で社長になることが一番だという考えがありました。

なので「飲食はいつかやりたいな」くらい。
そのときはまさか20代のうちに飲食業に戻ってくるなんて思ってなかった。

————————————————
「いつかやろう」なら「今やろう」
————————————————

2011年3月に起こった東日本大震災。
2011年6月に結婚。
この年は様々なことを考えた。

将来のこと、今置かれている状況のこと、、、その時に痛感したのが、広告業と自分のやりたいことの不一致だった。

広告は削りやすい経費である
これ結構きつかったです。というのは営業成績を残せないことよりも、世の中がピンチにさらされているときに″真っ先に削る経費”だったこと、そして”広告は不謹慎”という空気感からテレビCMは軒並み撤退し、ACの「ぽぽぽーん」などのCMが番組と番組を繋ぎ続けた。もちろん大手広告系企業は広告の力で何かと社会貢献していた。で、俺はどうだ。気持ちの中では炊き出しとか行っている人たちのように何か行動をしたい。でもそんな余力もなければ、休みもない。仕事を通じてできることはなく、無力感を感じた。次にこういうピンチがあるときにはせめて募金、そして仕事を通じて役に立ちたいと強く思った。そこで考えたのが自分が「本当に」やりたいこととは。。。

目の前のお客さんを笑顔にする
業綺麗ごとでもなく、シンプルに目の前にいるお客さんを笑顔に、満足させるという接客業への強いこだわりや、憧れが湧いて出てきた。広告は、それを見るエンドユーザーとは基本的に対峙することはありません。もちろんそれが配られる、露出する現場に行けば会うことはできるけど「対峙」はない。そこが一番の不一致だったかもしれない。きっと「自分は目の前の人に一笑懸命になる仕事」という答えが出たような気がする。そして元々「いつかやろう」と思っていた飲食の道に転身することになる。もちろんこの時には浅はかに「金持ちになりたい」という気持ちはない。金持ちになったらなったでいいけど、大事なのはそこじゃないという考えにもなっていたし、飲食の道に進むにはいい心持ちだったかもしれない。

人の総合力が磨かれるのも接客
これは自分の経験則でしかありませんが、接客の仕事には、社会に出て学ぶこと、心がけること、サービスに対して対価をいただくことなど、様々なことを学ぶのにいい仕事だなと思っています。特に若い人にはその先どんな道に進むにしても接客の仕事は経験して損はないと断言できる。だからこそ先生という夢を持っていた人間からするとそういう場を作るという一つの夢としても接客という仕事に誇りを持っています。

————————————————
転職して知った飲食業界の闇と課題
————————————————

簡単に言えば、奴隷ですよ。
私は2つの店で社員をやりました。
一つ目は和食屋A、二つ目は和食屋Bとしましょう。どちらにも大きく変えていきたい点が多く、課題をたくさん知ることができたことも事実です。そこについては後日記事をアップしてココと紐づけたいと思います。

現時点では割愛しますね。

————————————————
社員最大のデメリットは不自由さ
————————————————

後日アップすると言った記事にも絶対出てくる話ですが、社員として働く最大のデメリットは時間や働き方に融通が効かないこと。休みだって簡単には取れない。そして飲食の社員はみんなそれを普通だと諦めて抵抗もしない。先輩が遅くまで残っていれば、帰れない。。。正直くだらないなーと思うことも多い。

そのせいで子供との時間が取れない、妻に負担をかけすぎてしまうというのはいかがなものかと。だったら社員に固執する必要はないんじゃないかと考えた。アルバイトと個人事業を合わせてやれば何とかなるだろう。しかも個人事業を育てて行くことで今後の起業にも活きてくるし、道が少しずつできてくるのかなという打算もあり、社員で働いていた店をアルバイトに変更し、もう一つ融通のきくアルバイトを始めて、広告デザイン関連の仕事をする個人事業を始めたというわけです。

デザインの仕事があまりないときはアルバイトを多めに、ということができたおかげで最低限の稼ぎを確保しながら、時間も大きく確保できた。そのおかげで、少しは妻の負担を軽減できたし、起業に向けての歩みを進めることもできている。

————————————————
辞めて気付いた「社員」でなくなる
ということの大したことのなさ
————————————————

日本語あってるかな?笑
要はなーんだなんてことないなって思ったって話です。社員じゃないと社会人じゃないみたいな固定概念が自分にあってそれに支配されていただけだなって思っちゃいました。
もう社員に戻る気はないですねw 社員になるとすれば自由などを確保して、メリットを感じられれば、ですね。

社員は安定、と誰もが思うかもしれないけど、その安定を確保する代償が自由の損失です。
これはなかなかコストが高いと思います。
頑張れば安定はさせられるけど自由は頑張っても確保しづらい。見合ってない気がします。

なので今は個人事業が2つと手伝ってる店2つですが、自由に楽しくできてます。
まだまだ発展途上で、近い将来には自分の仕事だけをして、店を出して、その先のやりたいことを、、、みたいな風には思っていますが、社員時代のように不満を抱えながら働いてるような状態ではないので充実感もあるし、精神の安定は今の方が圧倒的に勝っています。

————————————————
嫌なことを嫌と言える人生を
—————————————————

個人事業は、良くも悪くも全てが自分に返ってくる。だから自由だし、その分責任も伴う。
つまりは自由はいらないから責任から逃れたいなら大企業の下っ端になればいいし、自由が欲しいなら辞めちゃえばいい。仕事がなくなったら作ればいい。仕事は生きる手段だったり、表現の場だったりするもので、支配されるべきものじゃないと僕は思います。

仕事で我慢ならないくらいしんどいとき、辛い時には逃げる方法も考えましょう。逃げるが勝ちという言葉もあります。みなさんにとって最高の選択ができるような、しやすいような世の中にもっとなっておけばいいと思ってます。

#個人事業
#ビジネス
#社員


もしよろしければサポートお待ちしています。 すごく励みになります。頂いたサポートは独立資金など夢を実現していく過程で利用させていただきます。応援よろしくお願いいたします。