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火葬の時、何着て焼かれたい?

火葬される時、白装束以外を着てもいいことを知らなかった。

先週の土曜日、小学生からの幼なじみと近所の和食屋で「推しの舞台がさ〜」とかほぼ小学生の時と変わらない話をしながらランチをしていた。その中の会話の一つとして友人の祖母が亡くなった話が出てきた。葬式に出るため、急遽実家に帰ったという。

その友達のお家は和菓子やお茶、着物が好きで、タンスの中に綺麗に手入れされた着物が常に入っているようなお家だった。

「そっか。大変だったね」などと話していると、ふと友人が思い出したように会話を繋げた。

「それでね、実家に帰っておばあちゃんの着物を整理してたの。そしたらお母さんが、お気に入りの緑の着物を着て焼かれたいって言うんだよ。私も死ぬ時はその着物がいい〜。」

この友人は色々気になることをさらっと言う癖がある。

23歳にして死ぬ時の話を親と「好きなタイプは〜」みたいなテンションで話していることに不思議な気持ちになりつつ、1番引っかかった所を聞いてみた。そもそも、死ぬ時って白装束以外を着てもよかったのか。

「おばあちゃんが火葬される時に、おばあちゃんが好きだった着物を着せて天国に逝かせてあげたいって火葬場の人に頼んだらいいよって言われた〜」

なんて粋な計らいなんだ。火葬される時に、白装束を着るイメージしかなかった私はとても驚いた。それってよくあることなのだろうか。ドラマや自分が出席した葬式ではみんな白装束を着ていた。

しかし、よくよく考えると、今の遺影や葬式のバリエーションを考えると白装束だけ固定されていることもおかしいか、と妙に納得した。最後の姿を選ぶ事は、残された人の中にどう残るか、にも繋がるだろう。

最近は終活がトレンドワードとなり、元気なうちに遺影を撮りたいという人も多いらしい。綺麗な姿で心に残りたい気持ちは、わかる気がする。

この前、親戚のおばちゃんの葬式に出席した際、遺影の中のおばちゃんは私が知っている晩年のおばちゃんではなかった。技術の発展(フォトショ)により、お肌がツルツルでシワは消失し、口角はつり上がり、垂れ目で少し細かったおばちゃんの眼は、心なしか大きくなっていた。

いつも細目で優しく話を聞いてくれるおばちゃんが好きだったので、お通夜でお線香をあげながら眼があった遺影の中のおばちゃんが、少し遠く感じたものである。フォトショ編集はデザイナーの甥が良かれと思ってしたらしい。おばちゃんの依頼ではなかった。

おばちゃんは、この編集された姿で残された人の心に残りたかったんだろうか。

「お母さんがさ〜緑にするってなったから、お姉ちゃんと着物取り合いだわ〜」

少し羨ましくなった。死ぬ時なんて、何着てるか認識できないし。死んだ後、私がその人たちの中にどう残るかなんてどうでもいいと思ってしまう。

pixivのお気に入りとかポエミーな振り返りノートは処分したい要求はあるけれど、それは「消したい」要求なので「残したい」要求ではない。やっぱり今の私まで、死ぬ時の姿まで拘れそうにない。もしかしたら私の中にまだ、人の心にどう残りたいか、がないのかもしれないな。

他の人にも問いかけてみたい。なんて返ってくるのだろうか。

earth music&ecology の有名なキャッチコピーに「明日、何着て生きていく?」ってのがあったが、私はこっちの質問もいろんな人に聞いてみたい。

「火葬の時、何着て死にたい?」

ちょっと縁起悪いし、きみ悪がられそうだな。

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