自己の破壊から得るもの
昨日、「言語化」「言葉の獲得」が自由になれるって感じたけど
去年買った本をもう一度読んで分かった。
千葉雅也さんの「勉強の哲学」
って本で、去年のゼミの先生に私が悩んでる時に勧められた。
そこには、
今までの「ノリ」から離れてノリが悪くなる。
と書いてあって、
つまり考えずに周りと一緒にノリ良く生きていけばいいのに「これってなんなんだろう」
って考え始めるわけである。
私が思っている言葉の獲得?は
例えば友達と話してる時にわざわざ難しい言葉を使うとする
絶対友達はうざいっておもうよね。
そのままの「これってなんて言うんだっけわかんねえや、こんなやつよ笑笑」
って説明だった方が友達付き合いは楽なはず。
賢くなる、勉強するっていうことは
そこから逸脱するってことで。
だけど、先生とか、その道の研究をしている人たちにはその言葉は通じるはずで、それって、賢くなってるよね。
ここまではノリ悪くなるとかウザがられるとかマイナスなことを述べたけど、
なんでそこまでして言葉の獲得(勉強)をしたいと自分が思ってるのか。
それは本に書いてあったのです!
「これまでのノリから「自由」になる。」
今のこの、「なんだっけあれよあれ、」
っていうノリが嫌だから「勉強したい」のよね。
そこから抜けたかったのねあたし。
また続きは明日の夜にでも読もうね。
おやすみなさい。
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