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深夜高速

 誰しもがものすごくその曲の歌詞が刺さって頭から離れないことがあると思うが私の場合はベタではあるけれどフラワーカンパニーズの深夜高速だった。
 ずっと覚えのないぼんやりとした不安感に囚われてながら生きていてよかったと心から思うことができる夜を探している。なんだかんだ安定した生活を過ごしているが心ではどこかみち足りなさを感じている。(こんな状況下なので仕方なくもあるが)何もしてないまま気づいたら大学生活も半年終わった。さっき高校時代仲良かった友人3人のグループに成人式の振袖をみにいかないかと言う通知が来た。

 そうか、もう私は大人になるのか。二分の一成人式で泣いてからもう10年も経つのか。この10年間ではたして私は少しでも人として成長することができたのだろうか。やりたいこともだんだんとなくなっていった。それはnoteでもそうで、この考えは世の倫理に反していないのか、自分の思想・発言にきちんと責任は持てるのか、「間違った」発言はしていないか・・・。余計な行動をしないように何かやるときは客観的な考えや行動を先回りするようにしていたクセがここで悪いように作用してしまった。今も心臓をバクバク言わせながらこれを書いている。
 あと、Twitterは頭いい人間がとても多い。
私はバイト先の面接で通っている大学の名前を言ったら鼻で笑われるような学校に通っている大した学も知識もないどうしようもない人間だ。そんな薄っぺらい語彙と感性しか持ち合わせていない、感情を言語に置き換える能力もとぼしい人間が偉そうにエッセイだオタク語りだ何だと書き散らかしていいのだろうか、きちんとそれを真面目に行っている頭のいい方に失礼ではないのかとかろくな学も何もない人間が一丁前に頭のいいひとがしていることの猿真似をしたとてそれは滑稽なだけであることなんてわかり切っていることなのでそこへの恥じらいもとてもあった。(ここまで書いてきたが全て勉強ができなかったお前が悪い、ですむ話だ。)
 このまま何の魅力もスキルもステータスも余裕もなく無駄なプライドだけ歳とともに大きくなっていき、いつかは何もできないくせにそれを認めようとはせずいばりくさって人を傷つけるような自分が昔恐れていたバケモノになってしまうのか。心の底から生きていてよかったと思える日は来るのだろうか。本当に怖い。
夢ややりたいことをわずかに見つけたとしてもそんなことがお前にできるのか?と自分の中のもう一人の自分がすぐに牽制をかける。もちろん成功した人たちはその牽制や様々な苦悩・葛藤を乗り越えたからこそ成功しているのだろう。いつか私にもそのアレルギーがなくなる日が来ればいいなと切実に思う日々だ。

https://youtu.be/uAXibMc74oY

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