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自分が知的障害だと診断されたら、どう受け入れていくだろうか

どうも、OKUです。

最近よく、「自分が知的障害であることが発覚したけど、なかなか受け入れられません。」という悩みをお聞きします。

障害が比較的軽くボーダー付近の方で、特に30代以上の方は、子供の頃に自分が知的障害だと気付かず、また、周りからも気づかれずに苦労して育ってきたケースが多いようです。

そこで今回は、今まで関わってきた知的障害者の利用者さん達の姿を思い出しながら、その方の人生を想像しながら、自分の経験や知識を総動員しながら、できるだけリアルに39歳の僕がいま知的障害(IQ65ぐらいを想定)だと診断された場合、どう受け入れていくかを考えてみようと思います。

結論から言うと、「受け入れるのは無理。でも、制度には甘えたい。」という風に、自分に都合よく折り合いをつけたいです。そのうえで、だいたい次の4段階ぐらいの思考のステップを踏むのかな、という感じがします。

➀今までの自分ではない
➁過去を思い出す
➂働くのが辛いから、できたら働かずに生きていきたい
➃障害を受け入れるのは無理だけど、使える制度は利用する

40歳で今さら診断されてもまず受け入れるのは無理だろうし、きっとしばらくパニックになるでしょうね。

で、その間は、自分は障害者じゃないけど健常者ではないという、【今までの自分でもないし他の誰でもない自分】という、ものすごく不安定な状態に一回は陥るだろうと思います。

で、その状態を過ぎるか、あるいは、一旦は知的障害を事実として理解するころに、過去を振り返ります。

そういえばこんな辛い場面があったなとか、あの時の失敗は知的障害のせいだった、がんばっても無駄だったんだ、など色んな辛いことをきっと思い出してしまうでしょうね。

その次に、「もしかして、知的障害は今の状況から逃げる手段になるのでは?」と考えるかな。

知的障害が発覚するということは、おそらく仕事上のうまくいかないこととか、ずっと適応できずに悩んできていることがあるはず。

もしも、自分のやりたいことをできずに、でも生活の為に働くしかないという状況なのであれば、知的障害を利用して、できたら働かずに済む人生を探したいと考えます。

そして一旦はそういう選択を実際するでしょうね。辛い現状から逃げるために制度に甘えたい。

で、療育手帳(又は精神障害者保健福祉手帳)を取得して、障害年金を受給申請します。生活保護も頭に浮かびますが、そこまではプライドが許さないですね。その間も障害を受け入れていませんので。

最終的に、障害者年金を受給しながら、無理せずできる仕事を無理しないペースでやるという、一番自分が楽でプライドが傷つかない選択を自然にしていくのかな。

障害を受け入れることができれば強いですが、そんな自分は全く想像ができないというのが、正直な結論です。


最後に。

実際に大人になって障害が発覚した方にメッセージを送るとするなら。

過去に困ってきたこと、現在あなたが困っていることから逃げる手段として、知的障害を使うことができるし、堂々とそうして欲しい。

あなたが頑張るところはそこじゃないと思う。他にある。

今は逃げるが勝ちの場面です。

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