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洞泉寺遊廓 旧川本楼 #01 その概要と歴史

1.洞泉寺遊廓 旧川本楼(町家物語館)とは

 旧川本楼は奈良県大和郡山市洞泉寺町に残る旧遊廓建造物(国登録有形文化財/写真1)です。現在、町家物語館とよばれ町の人々に親しまれていますが、この建造物の特性を多くの人に正確にお伝えしたいので、ここではあえて「旧川本楼」と表記させていただきます。

 旧川本楼は、1958年の売春防止法施行以降は廃業し、下宿所を営んだのち一般の住居となっていましたが、1999年に大和郡山市が買い取り、大掛かりな耐震工事、及び修理が行われ2018年2月から一般公開されています。(現在入場無料)

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↑(写真1)旧川本楼の外観、格子の美しい三階建て建造物

 市が建物を買取った際には、遊廓営業に関する様々な資料も寄託され、市の文化財として保管されているようです。これらは今までベールに包まれていた近代の遊廓経営を知るための資料として、建物と共に一括して残されている点が全国でも貴重であるということです。そのため現在も地道な調査が進められています。

2.旧川本楼の歴史

 旧川本楼の建物は大正11年に蔵棟、13年に本館が完成したことが棟札から分かっています。資料として展示している棟札は大正11年のもの(写真2)ですが、屋根裏には今も大正13年のものが残されているそうです。

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↑ 写真2 旧川本楼に展示されている棟札

 現在、旧川本楼に展示されている資料はごく少数ですが、その他の多くの資料についてはプライバシー保護のため公開されていません。一般公開を望む声もあるそうですが、旧遊廓は今から65年前の昭和33年に売春防止法施行までその営業が続けられており、現在も関係者が存命である可能性があること、また遊客名簿(遊廓に通った客の氏名や住所が判る史料)に書かれている内容は現在のご子孫につながる可能性が高いため、個人情報として取り扱われ公表できないとのことです。

 旧川本楼がこの洞泉寺で営業を始めたハッキリとした時期はわかっていません。現在わかっていることは、旧川本楼のご当主の先祖は江戸時代、武士であったということ(郡山人物志)、そして旧川本楼に残されていた資料のなかで最も古い「おぼへ帳」と言う文書が明治39年(1906)のものであるということ、また、昔の地方新聞で川本楼が確認できる最古の記事が明治34年(1901)であることです。遡って江戸時代後期の洞泉寺町の地図(図1)では、旧川本楼がある場所は大信寺の土地だったため、この時期には川本楼が存在していないことがわかります。

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↑ 図1  洞泉寺町町割図(江戸後期作成)の略図 ★印が現在の旧川本楼の場所

 つまり旧川本楼は明治維新の後、武士の俸禄を返還した川本氏が、わずかな授産金(失業手当のようなもの)を元手に始めた商売だと考えられるのです。
 ここに、明治初期の元武士は「遊廓を経営すること」に対し、現在の私たちが抱くような「賤業」といった差別意識を持っていなかったのでは無いかと思われます。(しかし、落ち目の元武家の娘が遊廓に売られてしまうと言う秘話も全国に残されており、遊廓を経営することと、遊女や娼妓になってしまうことはハッキリとした区別があると考えられます)

3.移転された旧川本楼

 ここで気づくのは、棟札が大正11年と13年なのに、明治34年の新聞記事に川本楼の名前があったのはなぜか?という事です。聞き取り調査によれば、現在の三階建ての建造物が建てられる以前は、道を挟んだ向かい側で営業していたという事です。(図1の5正願寺のあたりと思われる)。明治後期は全国あちこちに遊廓が増設された時期でもあり、大正初期の好景気で経営が右肩上がりになったため、川本氏が新築したのだと考えられます。

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↑ 写真3  昭和30年代の洞泉寺遊廓入り口の様子(国書刊行会『ふるさとの想い出 大和郡山』より)

 このような歴史をもった旧川本楼ですが、旧遊廓街独特の雰囲気を持っていた洞泉寺町を伺い知ることのできる、現在唯一の建物として存在感を放っています。このあと、連載形式で旧川本楼のあれこれをご紹介していきます。
次回は川本楼の従業員についてを予定しています。

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※今現在、川本楼(町家物語館)に常駐しているのはシルバー人材センターの方達です。この方達は正規の学芸員、市の職員ではない人たちで、悪気なくイメージ先行の裏付けのないガイドをしており、歴史学に基づいた説明がなされていないため、多くの問題が指摘されています。現地での説明と相違があるのはこのためです。

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