教育に「怒る」は必要なのか?②

皆さんこんばんは、ななまるです!

前回、「怒る」「叱る」そして「諭す」という言葉の違いについて詳しく掘り下げていきました。

今回は私が「諭す」を使ってきた経験を伝えていこうと思います。


1,「諭す」は物事の道理を分からせること

「諭す」ということは物事の道理を分からせることです。

私は指導のとき、常にどうするべきか、どうしたらいいかを理由も一緒に説明した上でこうするべきなんだよね、ということを伝えています。

勉強をするのはなぜか、ノートをまとめるときに単元ごとにポイントを書くのはなぜか、途中式を書くのはなぜか。

全てに理由があり、わかりやすい根拠があります。疑問や起こってしまった問題に、わかりやすい的確な回答をしていくことで「諭す」ということができるのだと考えています。


特に勉強では、怒る、叱るは絶対にNGです。
ただでさえ嫌いな勉強が更に嫌になってしまいます。

ですから、私は基本、怒らず、叱らず

「こうすればもっとよかったよね〜」

とか

「こうだったらうまくいったんじゃない?」

と言って緩く自分の意見を提案しています。

そういうと、たいてい怒られている、叱られているという認識が薄れているためか割とすんなり受け入れてくれるのです。


2,どんなときでも「諭す」を忘れない

それでも私の指導する中で、宿題が途中までしか終わらなかった、宿題をやるのを忘れていた、というようなトラブルは割と頻発します。

これは小学生の生徒さんだけでなく、高校生の生徒さんでも定期的に起きることなのですが、私はその場合でも怒ったり叱ったりすることはありません。

途中までしか終わらなかった、ということは途中までは終わっている。つまり取り組む意志があったということです。

その意志さえ持てない生徒もいる中でちゃんと真面目に取り組もうとしているのだから素晴らしいと思っています。

もしかしたら学校の宿題が多かったのかもしれないし、こちらが出した宿題が難しすぎたのかもしれない。

もしかしたらそんな問題なんて何もなくて、ただ単に始めるのがめんどくさかっただけなのかもしれない。

そんな中で、それでも家庭教師からの宿題もちゃんとこなそうとしてくれているのだから、怒ったり叱ったりする理由なんてどこにもないではありませんか。


宿題をやることを忘れていた、という点も別に構いません。やる気分じゃなかったのかもしれないし、部活で疲れ切って眠ってしまっていたのかもしれない。

けれど何故できなかったのか理由を問いただしたところで生徒が伝える言葉が本当の理由なのかはわかりません。

真実を知ることのできない私にとっては、そんなことのために忘れた理由を聞き出して授業時間を無駄にしてまで叱る必要性を感じないのです。

それならば

「終わらなかった?じゃあいま宿題やっていいよ〜」

とか

「あ、できなかった?じゃあ今宿題全部終わらせられる?」

という形で宿題をやらせるほうが合理的です。

復習を授業内で行う形になりますが、それで授業の進度が遅くなっても、勉強をする、という点では理由を問いただし叱る時間を過ごすよりよっぽどマシだと思っています。


私のこの考え方は賛否両論あるかと思いますが、今までの生徒さんの親御さんからはその対応をしてもっと真面目に授業をしてくださいと怒られたことは一度もありません。(もしかしたら寛容な家庭が多かった、というのもあるかと思いますが)


私は、家庭教師の授業は、あくまでも学生生活の中では『自習』の範疇だと考えています。やるもやらないも本人の意志ですし、それで何か怒られる筋合いなんてないのです。

ですが一応形式として宿題の形は取っているので、必ず最後まで宿題をやってもらったあとに

「先生の宿題は忘れてもなんのペナルティもないけど、学校で出される宿題は成績に反映されて受験や内申にも影響が出るから、学校の宿題だけは提出期限までにちゃんと提出しないとだめだよ」

と一言声をかけています。

ペナルティの大小の違いだけですが、家庭教師の宿題と学校の先生の宿題は全く別物です。

学校の宿題との違いをそこできっちり説明しておく必要はありますが、それ以上はしつこく言いません。やらなければいけないことは本人が一番わかっているのですから。


3,まとめ

今回は「諭す」を行ってきた私の経験とそこから考えたことについてお伝えしていきました。

私達家庭教師側の気持ちの余裕が、諭すを続けられるかどうかに繋がっているのではないでしょうか。

次回は、今回の経験を踏まえ、「怒る」「叱る」の表現のまま指導を進めることで起こる問題点と私の考えをまとめていきます。




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