生徒と先生の関係
昨日、先輩と行ってきた。
まだ3回目
大学に行ったのはまだ3回
写真では伝わらない。
美しかった。
レンガに緑のカーテン
立教大学
「1874年(明治7年)、アメリカ聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズ主教により、東京築地の外国人居留地に聖書と英学を教える私塾「立教学校」が開かれ、 わずか数人の生徒で始まった小さな学校。これが今の立教大学のルーツです」
https://www.rikkyo.ac.jp/about/history/
https://www.rikkyo.ac.jp/about/history/index.html
キャンパスが美しすぎるが故に受験した人もいるらしい。
まさか、僕が東京に、立教に、半年前は考えもしなかったことが起きてる。
そして、胸に希望を膨らませていろんなことを想像し、考えていたキャンパスライフは感染者が増えると同時に消えていった。
オンライン授業との戦いが始まった。
オンライン?
オンラインとは、機器同士が物理的、あるいは論理的に接続された状態のことである。一般的には、インターネットやパソコン通信といったネットワークに接続され、利用できる状態のことを指す。(Weblio)
なるほど。どこにいても授業を受けることができる。
リアルタイム、オンデマンド、いろんな方法がある。
「完全オンライン授業の春学期を終えて」
生徒と先生の関係が崩れた気がする。
僕たち生徒は単位を取るために大学で勉強する訳ではないし、先生の研究資料を集めるための道具でもない。
先生たちは、生徒の成績評価方法にばっかり目がいってとにかく大量の課題を出した。
そこで評価するしかないからである。
でも、明らかにおかしいだろ!!って思うことがあった。
先生って何のために存在してるの?って思うことがあった。
先生も初めてのことばかりで、試行錯誤の連続だと思うが、後期の授業は改善が必要だと思う。
僕ら個人の能力を本気で高めようとしてくれていると願いたい。
もちろん、全ての授業に不満があるわけではない。
オンラインでも、最高に楽しく学ぶことができた授業もある。
オンラインによる格差がなくなることを祈る。
先輩から聞く夢のような大学生活の話はもううんざりだよ、、。
でも、そのうんざりを生きる活力に変えてくれた場所がある。
それは
「松濤学舎」
明日は私が住む佐賀県寮「松濤学舎」について書こう。
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