編集は論文ではない。

おはようございます。


皆さんは集中力ってあるほうですか?
僕は「集中力」がウォルマート辺りに売っているのならば迷わず購入するでしょうし、Amazonで売っていたらまとめ買いしたいほど欲しています。
結構、一度にいろいろなことを考えているタイプです。


ある意味、現場でも作品だけに集中することが出来ないプロデューサータイプです。
スケジュールやスタッフ・キャストの出入り、食事の提供からロケ現場の道筋、渋滞情報、気象、駐車場の有無、控室の清潔感などずっと気にしていた癖なのか、その作品制作だけに集中することがなかなかできません。


たまに集中することもあるのですが、そんな時は集中しすぎて何かしらやらかしています(;^_^A
それでも、映像編集は集中していないとできません。
その集中ものめり込んでいては無理です。


そのカットだけを見ていてはいけません。すべての流れを把握する必要があります。
編集は彫刻を掘るようなもので、いくら美しいからと腕ばかりを掘っていてはいけません。

全身を美しいものにしなくては作品になりません。


最近は多くの人がYouTubeに参入ているので映像編集の仕方などを教えていますが、そのほとんどが技術論であるとか、つまらないロジックです(すみません、暴言でした)


これはプロ(と、名乗っている人)にも多くあるのですが、編集というものを「カッコよくシーンを見せる」と勘違いしている人が多いです。
間違えてはいけないのは、シーンがカッコいいのではなく、そのシーンに存在している人がカッコよくなくてはいけません。

細かく刻んだカットを音楽に乗せてまばゆいフラッシュ効果のようにつなぐのが流行り(それでもマイケル・ベイ辺りが最初にやり始めて25年以上が経っています)のようですが、登場人物がどのように動いているのか分からないのでエモーショナルな効果はありません。

文章に例えると「これ・ドッカ―ンからスマッシュでドンドン、ついにグルーンびっくりまたグルーン」と書かれているようなものです。意味不明。


カメラアングルも「言語」です。
人物をどのように捉えて、風景はどのように機能しているのか?そこを考えて撮っているケースはまれです。
「こんな風に撮ったら映画っぽい」でグルグルとカメラを動かしていると、そこにメリハリがなくなり「伝えるべきこと」が伝わりません。


映画『トップガン』も今では名作として知られていますが、監督のトニー・スコットはもともとミュージック・ビデオで有名になった人なので、細かいカッティングの編集を得意としていました。クライマックスの空中戦もそのノリで編集し、提出したところ没に。
再編集する際に、模型を使って「誰がどこにいて、このように味方を助けに行き、そしてこう飛んで敵を撃つ」とストーリーを構築して再編集したところ、とても感動的な名シーンになったという事です。


こうしたアクションシーンはカットも多くとても難しいのですが、上手な編集をしているととても見やすく盛り上がることができます。
ジャッキー・チェンの監督作を見るとアクションシーンの編集の上手さがよく分かります。
あれだけ敵が入り乱れて何百の攻撃を繰り広げているのにとても見やすく分かりやすいです。


またYouTubeでも編集論を教えている人がいます。
「伝え方」の技術として学ぶことは多いのですが、それ以上にならないことが多いです。
それは「正しい文体」から一歩も出ないからです。
論文のように「これはこうなります。理由はこうだからです。まとめると、こういう事です」と「ちゃんとしている」のです。

ただ、そんな文体だけだと内容を伝える前に客は飽きます。
そこにエンタメ性が必要になってくるのです。

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