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変わりゆく街、無くなっていくものがあるとしても

「本当に大好きで、いつも本を読んでいます。」

はーばーらいとの感想や、手帳も使っていることや、憧れていることや、わたしも文章を書いていることや、人生のアドバイスや、もっとたくさん言いたいこと、聞きたいことがあった気がするのだけれど、ドキドキして言葉は出てこなくて、精一杯この言葉を伝えた。

下北沢にあるB&Bでひらかれたシモキタナイトにばななさんが登壇するというのでチケットを購入した。イベントの詳細を見ていたとき、チケットが最後の1枚で、これはなんだか行かなければという気持ちで予約したのです。

”普通”の素敵なひとだった。生活をしているひとだと思いました。そして毎日、たたかっているひとだった。きっとたくさん、これまで様々な賞を受賞しているはずなのに、たくさんの名誉があるはずなのに、そのどれもがばななさんを飾っていなかった。いい意味です。ばななさんが持っているのは誰もが過ごしてきたような、人との出会いとか別れとか理不尽なこととか、喜びや悲しみを味わう中で得てきた人間力なのだと思いました。

ただの2時間でばななさんを語るのは本当におこがましいことなのだけれど、お会いできたことが嬉しくて書いています。

トークイベントで話されたことは下北沢という街について、街が変わっていくことについて、なにかが無くなっていくこと、新しくなっていくことについて。

新しいお店がどんどん増え、新しいホテルがどんどん増え、新しい街の姿がどんどん増えていく。帰る度に変わる地元の街並み。無くなった行事。新しいカフェ。変わりゆく交通網。○○改革などといって、目まぐるしく変わる制度。新しいものに心が躍ると同時に、ついていくのに精いっぱいになるとき。無くなってしまったものがありすぎて、失ったものが大きすぎて、その喪失感さえ感じられなくなること。

小さい頃から家族で通ったお好み屋さんが閉店して取り壊されてしまったとき、物事はずっとあるわけじゃないのだということを。大好きだった先生が異動してしまったとき、人との別れは簡単なのだと。子どもながらに諸行無常の響きあり、ということを学んでいたのかもしれない。

いつだって、いとも簡単に別れは突然やってきて、永遠なんてない。決して、ネガティブな意味ではなくて、それが生きるっていうことなのだと少しずつ理解しているのかも。

「そういう隙間にある、”あるもの”を愛していくこと。たとえば、もうここは閉まってしまうんだなという大好きなお店に、最後の日まで自分は通うぞという気持ちでいること。」

ばななさんは、そう言ってなにか愛おしそうな顔をしていた。

これからきっと街や人、価値観、制度が変わっていく。わたしもまた、何を愛し、何を守り、何を信じるのか、変わっていく。変わっていくことは、ちょっと不安もあるけれど、いつだって今がビビットにやってくる。過去は美しい。それも素敵なこと。多少美化したとしても、ね。と思いました。

ばななさんのサインは本当にキュートだった。名前のうしろにちいさな、ちいさなハートマークを付けてくれた。いつだったか、学生の頃、尊敬するひとがわたしに「あなたの心には小さなハートがたくさんつまっているね。」と言ってくれたこと、それがすっごくすごく嬉しかったこと。そういう自分の心を大事にしよう、と心に誓ったこと。ばななさんが書いてくれたハートがきらっと光って、わたしの心にまた積もった。

いい夜でした。いい日でした。いい人生を、広い世界で生きていこう。たくさんの価値観に触れて。

ちなみにサムネイルの右端にうつるわたしの前に座っていたおじさんは下北沢のサンカツ(デイリーヤマザキ)の店主さんで。昔テラスハウスでイタリア人の漫画家さんが自分の漫画が載った雑誌をサンカツで買うシーンがあり、そのときのレジのおばあちゃん(店主のお母さん)とのやりとりがめちゃめちゃいいシーンでした。余談です✨


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