ひと粒の後悔の種



学習能力は母のお腹の中に忘れて来ました。

 何度も同じ場所でけっ躓き(物理的にも)、
 何度も同じ場所で地雷を踏み、
 何度ももんどりうって後悔しながらも、

決して懲りない、ある意味、凶器的なこの学習能力のなさ。
(というかガマン力のなさなのかも知れない)


そんな私ですが。

ひとつだけ。
このひとつだけは。

できることなら、もう二度と同じ後悔をしたくない、ということがあります。


もう、何年前になるのか。
かなり前のことになります。

それは、仕事が終わって帰宅中のこと。私の自宅は最寄駅から普通に歩いて4~5分。その、ほんの4~5分の間の出来事でした。

駅前から続く商店街を通り、途中で左に曲がっ…たところに、『その男性』はいました。

『その男性』は、まだ18時過ぎの薄明るいその時間帯に既に酔っていたようで、道路標識の細いポールにもたれかかって立っていました。

薄手のコートらしき上着を着ているにも関わらず、「平日のこんな時間から酔ってるなんて」と、半ば呆れた感じの横目で見ながら通り過ぎ、私は帰宅しました。
私が帰宅していくらも経たないうちに、入れ替わるように、父が近所に用事を済ませに出て行くのを見送りました。

その後、夕食となるはずだったのですが、すぐ近所に出て行ったはずの父がなかなか帰って来ません。不思議には思ったものの、まあ正直、わりといつものことだし…

ずいぶん経ってから帰って来た父が、出先であったことを話してくれた時に私は。


この後悔だけは、二度と、一生したくない、と思いました。


父がウチを出て、私が帰りに通って来た道を逆方向に進んで行った先に、『その男性』は同じ姿勢のままでいたそうです。

父が不審に思い、
「大丈夫かい?医者に連れて行こうか?」
と声をかけると、

「…すみません。救急車を呼んでください…」
そう、自分で答えたそうです。

その直後。

彼はもたれていたポールから崩れ落ち、慌てて父が支えようとしたものの、そのまま地面倒れ込みました。もうほとんど意識がなかったようです。

近くのお店の人たちも出て来て急いで救急車を呼び、その人は運ばれて行きました。
倒れ込んだ拍子に眼鏡が歪んでいたため、ケンカなど暴力沙汰の可能性の質問を受け、父は通報者として警察に説明していて遅くなったのでした。

その夜、警察から父に電話があり、その男性が亡くなったことを聞きました。

そして当時の私から見て、40歳代くらいの中年の方かと思っていたのですが、実はまだ20代の方だった、ということも。私よりもお若い方だったのです。

さらに聞いていると、どうも男性には持病があり、具合が悪くなって動けなくなってしまったようでした。

あの時ほど。
あの時ほど後悔したことはありません。

例え遠くからでも、酔っているかも知れなくても。
何で念のためにでも。

「大丈夫ですか?」

そのひと言を発さなかったことを。

もちろん、私が声をかけて、その場で救急車を呼んでいたとしても助かった保証はありません。

でも。
病気や怪我は初動が重要だと言います。

まして、持病がある方にとって、本来であれば『ほんの』10分・15分という時間がどれだけ大きいか。

私が見かけで判断せずに声をかけてさえいれば、あの人は助かったのではないか?

というか、あの時間のラグを考えたら、恐らく、きっと、助かった、と思うのです。

あんな後悔だけは、二度としたくない。

確かに、急病人と思って近づいて、思わぬ被害に遭うこともあります。

だけど。

遠くからでもいい。
ひと言だけでいい。

決して後悔しないように。

実はこの話、私は他の場所でも何度も書いています。

決して。
決して忘れないように。

本当に、あのどうにもならない、やるせない思いだけは二度としたくない…そう思った出来事でした。






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