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~名言ってなんだろう??~

 今日も1日お疲れさまです。最低でも1週間に1回、多ければ3日に1回はnoteを更新したいと考えている優里です。2月3月はどうしても仕事が忙しい・・・・

趣味について

 突然ですが、僕の趣味は読書です。自己紹介的な備忘録にも書きましたが、「妖怪アパート幽雅な日常」という本に出会い小学校4年生から読書が大好きになりました。 
 もちろんただ本を無心に読むことが好きなんですが、小学校6年生の頃から言葉が好きになりました。なぜかわからないけれど、急に言葉が好きになったんです。 
 そのころから僕は小説のなかで出てきた言葉で自分の基準で良いと思ったものをノートに書き写し、言葉を収集する癖があります。なんだかんだもうそのノートも6冊目です。ノートの表紙には「名言ノート」と書いています。 
 その名言ノートには、小説内の言葉だけでなく、映画、アニメ、漫画、友達との会話の中で良いと思ったもの、授業で先生がふと言った事、両親が言ったことetc・・・。様々な言葉が書かれています。 
 なぜ急にこんな事をnoteに書こうと思ったのか、それは引っ越しに伴い実家を整理していたら、記念すべき「名言ノート」の1冊目と、高校生の時に夏休みの課題で嫌々書かされた論文コンテストの原稿が出てきたのでその当時の自分が考えていた言葉に対する考えをnoteに残しておこうと思い記事にしてみました。
 自己満足ですが、もし読んでいただけるのであれば、不満を書いた論文コンテストの原稿も供養されると思いますので、僕の「原稿供養」にお付き合いください。(多少表現には修正を入れています。)

題名「名言ってなに??」

 言葉には不思議な力がある。古代日本では言葉に不思議な力が宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があると云われ「言霊」が信じられていた。
 現代でも、偉人の言葉が世に語り継がれる名言として言い伝えられている。何か迷ったとき、偉人の言葉や小説の言葉、映画のセリフ、アニメ内のセリフに勇気付けられる経験がある人は意外と多いんじゃないかと思う。
 この作文ではそんな「名言」と言われる言葉について私なりの考えを書いた。

 そもそも名言とはなんなのだろうか。辞書に載っている意味は「確かにそうだと感じさせるような、優れた言葉」と書いている。ここで1つの名言について考えてみよう。 

「奇跡ってのは、起こしてこそ初めて価値が出るものよ」エヴァンゲリオンの葛城ミサトの言葉だ。

 この言葉を名言と感じる人はどれくらいいるのだろうか。この言葉が言われた前後の関係はあるが、この言葉に共感している人は多々いるだろう。また逆の人もいる。奇跡は偶然起きるものであって、人為的に起こしたらそれは奇跡とは言わないんじゃないか。その奇跡に価値はあるのか?これは名言とは言わないんじゃないかそういう人もいる。

 もう1つの名言について考えてみたいと思う。

人間には「愛」がありさえすれば、幸福なんてなくたって生きていけるものだ。(フョードル・ドストエフスキー)

 これはドストエフスキーが遺した言葉だが、これを名言と思う人はどれくらいいるのだろうか。私はこの言葉は名言と思っていない。「愛」は大切だとは思うが、それだけでご飯は食べれない。この言葉は高校1年生の私にはまだよくわからない。異性の事を愛したことが私にはまだないからだ。

 ここで、最初に書いた辞書的な意味の「名言」に戻る。
「確かにそうだと感じさせるような、優れた言葉」である。これを一言で表すと、共感できる言葉だと私は思う。
 

 「名言」=「共感できる言葉」

 この作文で私が伝えたいのは、誰もが納得して「名言」だと思う言葉はこの世の中には存在しないということだ。人の考え方は十人十色であり、立場も違えば考え方も違う。グローバルに考えると多様な人種、宗教、文化、いろんなバックグラウンドを持った人がこの世の中にはいる。それ故に、皆が名言と思う言葉は存在しない。人が同じことを考えることはありえないからだ。似たような境遇で育っていても、考え方が同じということは絶対にない。
 歴史上の偉人のように後世に語り継がれるような言葉を残すことは難しいが、友人との会話などで、人は誰しも、名言を残すことができる。全員が共感しなくても、目の前の人が共感してくれれば、その言葉はただの言葉ではなく、その人にとっての「名言」になるのだ。
 
 なぜ、このような作文を書いたのか。先日、ファミリーレストランで部活帰りに1人でご飯を食べていた時に隣の席で親子が3人で食事をしていた。初めは気にも留めていなかったが、会話の内容を聴くと親が子供に対し、勉強の成績が悪く叱っている最中であった。その叱っている最中に、親が子供に対して、「どうして私たちの言っていることがわからないの」という言葉を投げていた。「なんで言ってる事がわからないんだ」とも言っていた。
 その光景をみていて、とても不自然に思った。叱っている親側はどうして、その子供が自分たちの言葉を理解していないか考えているのかなと思った。なんで、伝わらないのか真剣に考えているのかと疑問に思った。そして、最後に親が子供に言った言葉が衝撃的だった。「お前になに言っても伝わらないんだな」。
 私自身、高校1年生であり、まだまだ子供なんだと思う。大人の世界はわからないし、経験もしていない。でも私は親と会話するときでもそうだが自分の意見を伝えることを諦めたりはしない。必死にどうやったら伝わるのか考え、15歳の自分なりの精一杯を伝えようとしている。自分だけでなく、相手の立場も考え、意見を伝えようと必死に言葉を紡いでいる。
 世の中の大人たちに、この作文を通して伝えたい。どうか、子供に対して意見を伝えることを諦めたりしないで欲しい。どんな歴史上の偉人でも、全世界の人が共感する言葉を紡ぐことはできない。本気で向き合った結果の言葉であれば子供にも伝わる。子供だからわからないという気持ちで会話をしないで欲しい。かっこいい言葉でなくても、共感できる言葉であればそれはその人にとって唯一の「名言」になるのだ。その一言で変わることもあるということを分かって欲しい。子供に対して、子供だからという理由で無責任な発言はしないで欲しい。
 私は小説を読むのが好きで、言葉には大きな影響力があると思っている。たった一言でも勇気がでたり、鬱になることだってある。
 私は歴史上の偉人のように、後世に語り継がれる名言を残したいとは思わないが、自分の家族や将来のパートナー、子供、大切な友人に対して、唯一の「名言」を残せるような大人になりたいと思う。 

まとめ

 この論文コンテストの原稿を読んだとき、自分が10年前に思い描いていた理想の大人になれているのかと、改めて振り返ることができた。今になると、昔の悩んでいたことなんか笑い話にできるのだが、その当時は必死だったなと思い返すことができた。
 伝える事を諦めないで、誰か一人の心に響く「名言」を残せるように生きようと改めて思った。


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