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中込遊里の日記ナントカ第84回「腹の縁」

(2016年1月執筆:31歳)

ある程度はキリキリしていないと、物事を進めることはできない。どんなに楽な仕事といえども、手順や効率を考えながらの作業はよっぽどのエネルギーを利用しないとできぬものである。エネルギーに満ちている時は考えない。ところが、たとえば片手を骨折した時の不便のように、ひとたび予想外があれば、我々はたちまち必要な力加減を認識する。

妊娠後期に入り、どんどん動きづらくなっている。身体の軽かった時は、どんな時でもキリキリしていた、と、しばしば振り返る。キリキリしていたというより、キリキリしていないと済まなかった。むしろ楽しい時ほどキリキリしていたと言ってもよい。進めねばならぬ、停滞は許されぬ、物事を進めることが脅迫的な快楽であった。そうはいえども思いのほか進まないのは承知だが、追われている中に満足を覚えていた。

そのことには、身体が変わったから気が付いた。私が何もしなくても、勝手に腹の中の細胞は育つ。私の思う通りに進めることができない。「なるようになる」と身を任せて、乱暴なことはしないように心掛ける他、何もない。それが身ごもった女の仕事なのだという。驚く。

演劇の場、酒を飲み酔っぱらうキリキリと快活な時間が、腹の中の生命の成長を観察する不安定な時間に書き換えられていく。結構なギャップがある。対応するのにも混乱が生じてしまいそうだが、そこは人間の面白いところで、ホルモンバランスが変わることによって適応しているようだ。私の体はおっとりに支配されている。よく、女は「上書き保存」男は「新規保存」といって、女は環境や恋人の変化に強いというが、この体の変化に耐えうるためなのではないかと思う。

変化以来、「腹の縁」ということを考えるようになった。あの方も、あの方も、私の身体がこうでなければきっと目を見て話したりはしなかったろう。

電車の中で席を譲って頂いた中年の女性の方に、降り際にもう一度お礼を言うと「お気を付けて」と声を掛けられた。駅から離れて次の場にいながらもしばらくその時の気分を引きずった。「お気を付けて」という言葉の短さは粋で優しいと思う。いくらあの場の温度を反芻したとしても、あの方にはあの方の人生が流れていて、それを知る術はすでにない。また逆もしかり。

今しかできないから、と、マタニティ・ヨガというものを体験してみた日、自己紹介をしあった事務職のご婦人は、妊娠34週だと言っていたので、もう産まれた頃だろう。その日の1時間半ほどのご縁。生活の範囲が異なるのだから、再び会う可能性は低くその保証はない。そうわかっていて自己紹介が始まった。

「お腹にいる時から可愛くて可愛くて、産まれたらどうなっちゃうんだろう」とそのご婦人が言っていたことが強く印象に残っている。なんという余裕だろうと感心した。超音波の写真を見ても生々しいばかりで違和感しかない。ただ、私も胎児もこの先の長い人生を一日でも長く健康であれば良いと祈るばかりで、他にない。

妊娠6ヵ月で劇団を休止にした。稽古の時間がぽっかりと空く。そうなると不思議なことに縁が巡ってきて、中高生時代の友人に「久しぶりに会わないか」と誘われた。10年以上ぶりに会う同級生たちは、少しも変わっていないようにも思えたけれど、そこはやはり時が流れ、30年生きた余裕がどこかに感じられて落ち着いた。

中学時代の友達作りとは不思議だと思う。どこがいいとかどこが気が合うとかは頭ではわからず、本能で友人を選んでいたような気がする。大人になって再会すると、「へえ、こういう人だったのか」と思いなおすことがある。とはいうものの、本人は変わったわけではないのだ。子供の時は本能だったものが、大人になって、彼女の性質を言葉にする力をこちらが得ただけのこと。

ところで、後2ヶ月弱で予定日となってからというもの、正直言って少し参っている。胃の圧迫や、骨盤の変化による足腰の痛み、肺が圧されることによる呼吸の浅さ、もともと体を動かすのが好きな性分のところ、腹を守って生活するおっとりを受け入れざるを得ない切なさ。

とはいえ、自由であることが必ずしも良い結果に繋がるとは限らない。俳優に枷を与えると演技が豊かになることがある。たとえば、必ずひざを曲げて動くという約束をして舞台に立つと、なんのルールもなかった時よりも惹きつけられる。動きたくても動けないという状態は、身体の方から脳に変化を与えるから面白い。

妊娠の体の変化は、演劇の場とは違い、24時間付き合っていなかければならないので、メリットばかりは得られない。私の場合、妙に神経質になり、かといって頭の回転は遅い。けれど、これまでには得られなかった縁が身に注ぐのは、豊かなことだと思う。

相当の欲張りな私にはどんな時でも満たされぬ思いがあって、充実の中に寂しさを覚え、持て余す癖がある。それがキリキリに繋がり、楽しい席でも少なからず暴力的だったと思う。それはそれでよい、よいのだが、新しい感覚を知ることはもっと面白い。

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