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短編小説「ファンの鏡」

悠斗は自分の鼓動が早くなるのを感じた。
「まじかよ・・・。」
目の前に倒れているに声を緑掛ける。
「緑!おい、起きろ!」
何度呼びかけても、返事が返ってくることはない。
喧嘩をしてちょっと突き飛ばしただけなのに、なんでこんなことになってしまったのか、悠斗はパニックになっていた。

次の日の朝、悠斗は警察署で取り調べを受けていた。
「あなた、月島緑さんとお付き合いされていたんですよね?」
警察官にそう聞かれ、「はい。」と力なく答えた。
「ニュースを見て驚きました。なんで緑が・・・。」
悠斗は、机に顔を伏せ、肩を小刻みに震わせた。
警察官は悠斗のアリバイを尋ねてきた。
「昨日はずっと家にいました。一人暮らしなので、証人はいません。」
「確認ですが、昨日は月島緑さんとは会われてないんですよね?」
「ええ。緑は東京の実家に帰っていましたから、次の土曜日に会う約束をしていました。」
「なるほど。では、どうして月島さんは、この町に帰ってきていたのでしょうか?あなたに会う為なのでは?」
「そうかもしれません。でも、帰ってきているなんて知らなかったんです。緑はサプライズが好きなところがあったので、もしかしたら俺を驚かそうとしていたのかもしれません。」
緑のことを思いだしていると、自然と涙が零れてきた。
去年の悠斗の誕生日にも、サプライズでビデオレターを用意してくれたことがあった。あの時の緑の笑顔が、今になって思い出された。

取り調べが終わり家に戻ろうとすると、後ろから声を掛けられた。
「そのまま前を向いて歩いてください。」
昨日の女の声だとすぐに分かった。
どこの訛りなのか分からないが、話す言葉のイントネーションに少し特徴があった。
「そこのカフェのソファ席に奥を向いて座ってください。」
「分かった。」
悠斗は言われた通り、ソファ席に座り、背中合わせの隣の席に女が座った。
「心配しないでください。全ては上手くいきました。」
「あんたは誰なんだ?どうして・・・。」
「言ったでしょう。私はあなたに救われたのです。その恩返しをさせてもらったまでです。では、さようなら。」
悠斗が振り返ると、そこには誰もいなかった。
もしかして、自分が今見ているものは幻なのだろうか。
そう思うくらい、昨日の出来事は何もかもが信じられなかった。

悠斗は倒れた緑を目の前にして、動くことすら出来なかった。
やっと救急車を呼ぼうとした時、玄関の扉が急に開いた。
そこには、フードを被り、マスクにサングラス姿の怪しい人物が立っていた。
「誰だ!」
混乱した悠斗がそう叫ぶと、「私はあなたのファンです。」と言った。
声からして、女性であることは分かったが、聞いたことのない声だった。
その女は、当たり前のように家の中に入ってきて、緑に近寄ると、「死んでますね。」と言い放った。
そして悠斗の方を向くと、「私に任せてください。」と言った。
マスクで口元は見えないし、サングラスも掛けていて表情が分からないはずなのに、悠斗にははっきりと、その女性がにやついているのが分かった。
「任せるって、何を?」
悠斗が恐る恐る尋ねると、「後始末です。」と答えた。
「後始末・・・。」
言葉の不気味さに、悠斗は思わず後ずさりした。
「ええ。いいですか、あなたは今日は家から出ていません。この女性にも会っていません。この女性は今日の夜、東京から直接あなたの家にやってきた。そして、このマンションには防犯カメラがない。つまり、この女性の服や髪型を変えて、遠い場所で遺棄すれば、この女性があなたの家にやってきた証拠は何一つとしてない。あなたが疑われることはないわけです。」
「へ?」
悠斗が言葉を発する前に、不気味な女は緑を背負うと、緑が持ってきたキャリーケースを引いて家から出て行った。
悠斗はしばらくその場から動けなかった。

それからしばらく経っても、悠斗は立ち直れなかった。
周囲の人間からは恋人を亡くした悲しみから立ち直れていないのだと思われていただろうが、実際は違った。
自分が緑を殺してしまったという事実に耐えられなかった。
それに、不気味な女のことが頭から離れなかった。
悠斗のファンだと言っていたが、あの日タイミング良く現れたことがどうにも気になった。
もしかして、このことで、何か見返りを求められるのではないだろうか、そんな不安も悠斗を押しつぶしていった。
悠斗はだんだんとやつれ、ついには仕事を退職して家に引きこもるようになった。

半月ほどが経ち、悠斗は警察に自首をすることを決めた。
悠斗がしばらくぶりに髭を剃り、外出の準備をしていると、突然インターホンが鳴った。
会社を退職して引きこもるようになってから誰とも会っていない。
誰かが訪ねてくる予定も無かったので、不思議に思いつつもインターホンを覗いた。
そこには、警察署で悠斗のことを取り調べた警察官が立っていた。
悠斗は、安堵した。
ようやく、この苦しみから逃れられるのだと。

警察官は悠斗と挨拶を交わすと、話があると言った。
悠斗の家の乱雑具合を、警察官は憐れみの目で見つめた。
「実は、今日はご報告があってまいりました。」
「待ってください。僕からお話をしてもよろしいでしょうか。」
悠斗は、勇気を振り絞って、あの日に合ったことを全て話した。
悠斗の告白を、警察官は、表情を何一つとして変えずに神妙な顔で聞いていた。
全て話し終えると悠斗は涙が溢れてきた。
今日で苦しみから解放されるのだと、安堵の涙だった。
「本当にすみませんでした。」
悠斗が謝ると、警察官は「そうじゃないんです。」と言った。
「え?」
「犯人は、この斎藤美加です。」
そう言って、悠斗の目の前に一枚の写真を差し出した。
そこには、悠斗と歳が変わらなそうな、今風の女性が映っていた。
顔には見覚えが無い。
「誰、ですか?」
「捜査の結果、斎藤美加が容疑者に浮かびました。取り調べをしたところ、自供し、死体遺棄の証拠も見つかったので、逮捕に繋がりました。今日はそのご報告で伺った次第です。」
警察官から聞いた言葉を聞いても、悠斗は一体何が起きているのか分からなかった。

警察官から何度も説明を受けて、悠斗が事件のことを理解したころには、明るかった空が真っ暗になっていた。

斎藤美加は悠斗のストーカーだったらしい。
悠斗は知らなかったが、高校生の頃に悠斗のファンクラブが出来ており、斎藤は他校の生徒だったが、そのファンクラブの会員だったそうだ。
その頃はいじめに会い勉強も思うようにいかず、人生に行き詰っていたが、悠斗を陰ながら支えるファンクラブ活動が心の支えだったらしい。その後は大人になり、違う県で就職していたが、約三年前にこの町に戻ってきて悠斗を見かけたときは運命だと思ったと語っていたそうだ。
悠斗を遠くから見守る生活に生きがいを感じていた斎藤だが、悠斗が緑と付き合い始めると、興味の矛先が緑に変わったらしい。
緑がなぜ悠斗と付き合えるのか、時には東京に引っ越してまでストーキングを繰り返していたと聞いて、悠斗は怯えあがった。
ストーカーだけでは満足できなくなった斎藤は、緑に接触し、なんと友人になっていたそうだ。
緑がハマっていた、お菓子教室に潜り込むと、年齢が近いことを理由に緑に近づき恋愛相談までする仲になったらしい。
緑が遠距離恋愛の不安を口にすると、斎藤は、サプライズをして彼氏を試そう、そう緑に提案した。
サプライズの中身は、緑が倒れたふりをして悠斗の愛情を確かめるものだったそうだが、悠斗には、普段の緑なら絶対に選択しない方法に思えた。
斎藤のことを怪しめないくらい、悠斗との関係に悩んでいたのだろうか。
斎藤に対する憎しみよりも、自分に対する不甲斐なさが勝り、警察官の話を聞き終わっても椅子から立ち上がれなかった。
「だから、あなたは緑さんを殺害していないのです。」
「え?どういことですか?」
「あなたは突き飛ばしただけ。斎藤が気絶したふりをした緑さんを連れ出し、殺害となったあの河川敷で緑さんを殺害したのです。」
あの時の斎藤のにやついた顔が、悠斗の頭からこびりついて離れなかった。


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