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短編小説「ピアノの音色」

楓の住む町の駅にはピアノが置いてある。
立派なグランドピアノだ。
寂れた駅には似合わないなと楓は思っていた。
そのピアノは山奥の閉校された小学校から譲り受けたものらしい。
楓が学生の頃は、毎日のように誰かがピアノを弾いていたが、ここ最近はそういった光景もほとんど見られなかった。

楓がいつものように通勤しようと駅へ向かうと、優しいピアノの音色が流れたきた。
昔どこかで聞いたような懐かしさのあるメロディだった。
楓は曲名が思い出せず悶々としながら駅までの道を急いだ。
駅へと続く階段を上がろうとすると、ピアノの音が鳴りやんだ。
ピアノを弾いていた本人に曲名を聞こう、そう思ってピアノがある場所へ向かうと、そこには誰もいなかった。
残念に思ったが、またピアノを弾いていた人物に会う機会はあるだろうと、その時は思っていた。

楓それから毎日、それとなくピアノの音色が聞こえてくることを期待しながら駅へと向かったが、ピアノが音色を響かせる瞬間に出会えることは無かった。

ある日、楓は残業で帰宅がいつもよりかなり遅い時間になった。
明日は土曜日で休みだからと割り切って仕事をした結果だった。
「あー、疲れた・・・。」
帰路につきながら、ため息を何回ついたか分からない。
どうしてこんなに疲れてまで働いているのか、楓は答えを出せないでいた。

最寄り駅に着くと、あのピアノの音色が聞こえてきた。
「え、こんな時間に?」
この前、ピアノの音色が聞こえてきたのは、朝の七時頃だった。朝早い時間帯だから、てっきり学生がピアノの練習をしていたのだろうと考えていた。
しかし、今は夜の十一時過ぎだ。
学生が練習する時間にしては遅すぎる。
一体どんな人物が演奏しているのか。楓は好奇心に駆られ、ピアノがある改札前のスペースに急いだ。
楓がホームから改札に続く階段を駆け上がっていると、ふとピアノの音が止んだ。
咄嗟に楓は、「待って!」と叫んでいた。

楓が息を切らして改札に到着すると、ピアノの付近には誰一人としていなかった。楓と同じ電車に乗っていたであろう乗客たちは、息も絶え絶えな楓を見て不思議そうに去っていった。
「なんで、会えないの。」
楓は悔しくなって、帰り道にあったコンビニでアイスを大量に買って帰った。

次の日、楓が目を覚ますと、もうお昼の12時を過ぎていた。
「もうこんな時間・・・。」
帰ってすぐに寝たはずなのに、まだ寝たりないくらい疲れが残っていた。
今日ばかりは自分を甘やかして二度寝でもするか、そう思っていると、どこかからかピアノの音色が聞こえてきた。
「またあの曲だ。」
そう考えて、楓は状況のおかしさに気がついた。
「なんで駅のピアノの音色がここまで聞こえるの?」
楓の家から駅まで歩いて30分ほどの距離がある。いつもは駅に近づいてからしか聞こえないピアノの音色が聞こえてきたことに、楓は違和感を覚えた。
駅ではない、どこか違う場所で誰かが弾いているのだろうか。それにしても、あの曲はやはり聞いたことがある気がする。
ピアノの音色が気になって寝付けない楓はベッドから飛び起きた。

ピアノの音色を辿って行くと、やはり駅の方から聞こえてくることが分かった。
楓が駅に着くと、まだピアノの演奏は続いていた。休日の昼過ぎにもなると、駅の利用客は多く、用もないのに改札を通るのが憚られた。
遠くから、ピアノを弾いている人物の姿だけでも見ようと目を凝らすと、ピアノには誰も座っていなかった。
またすれ違ったのだろうか。
何もしないまま帰るのが悔しくて、楓は駅員に、最近ピアノを弾いているのは誰かと尋ねた。
「最近ですか?ピアノを弾いている人なんていませんよ?場所も取るので撤去の話が進んでいるくらいです。」
不思議そうな顔でそう言われ、楓は戸惑った。
今の今まで聞いていたピアノの音色はどこからきていたのだろうか。
楓が考えていると、またピアノの音色が聞こえてきた。
注意深く聞くと、この音色は、どうやら駅の裏側から聞こえてくることに気がついた。
楓が急いで駅の裏側に回ると、大きな桜の木の後ろに座って、電子ピアノを演奏している少年を見つけた。

「あなたが弾いていたのね。」
楓がそう言うと、少年は楓の方を見て「僕のこと覚えてる?」と言った。
そういえば、どこかで見たことがある気もする。
楓が言葉を濁していると、「やっぱり覚えてないんだね。」と少年が悲しそうに言った。
「いや、覚えてる!えっと、その~。」
楓が考えていると、少年が
「さっきのは”約束の歌”だよ。」
「約束の歌?・・・あっ!」
楓は思い出した。目の前にいる少年のことも。
「もしかして柚希くん?」
「うん。」
楓は全てを悟った。
目の前にいるのは、楓が小学三年生の頃同じクラスだった、斎藤柚希だった。柚希は、県のコンクールで優勝したことがあるくらい、ピアノが得意だった。よく、休み時間になると音楽室でピアノを練習していて、楓はその演奏をよく聞きに行っていた。
柚希は自分で曲を作ることも好きだったらしく、即興で作曲して音楽を聞かせてくれることもあった。
その中の一つが”約束の歌”だったのだ。
曲を聞いたときに感じた懐かしさの理由が判明したと同時に、楓は切なくなった。
柚希は小学校三年生の冬に行方不明になった。
家族で乗っていた車が崖から落ち、他の家族はその場で遺体が見つかったが、柚希だけは川に転落してしまい行方知れずになっていた。
「もしかして、見つかったの?」
「うん。やっと見つけてもらえたよ。」
「そっか。良かった。」
「あの日の前日、君に、この曲が完成したって伝えたのを覚えてる?」
柚希は”約束の歌”を完成させたから、週明けに披露すると言っていたことを思い出した。
「もしかして、それで演奏しに来てくれていたの?」
「うん。あの頃、僕はコンクールで賞を取ったプレッシャーに押しつぶされそうになっていたけど、君が嬉しそうに僕の演奏を聴いてくれることがとても嬉しかったんだ。あの時は有難う。」
「柚希くんの演奏が好きだったから。私こそ有難う。」
柚希が過ごすはずだった時間を考えると切なくて、楓は涙が溢れてきた。
涙をハンカチで拭うと、柚希はもういなくなっていた。

次の日、テレビをつけていると、柚希の遺体が見つかったとニュースで言っていた。この前の大雨の影響で、地形が変わり水が流れなくなった小さな川の下流で見つかったそうだ。

楓は柚希が残したメロディをこの世に残すことに決めた。



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