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孤独の教典 『ツァラトゥストラ』

ニーチェの『ツァラトゥストラ』は孤独な者や孤独を愛する者の教典です。孤独は不幸ではなく、むしろ自ら進んで選ぶほど価値のあるものです。


『ツァラトゥストラ』を読むことで、孤独の価値に目覚めます。『荘子』に登場する「神人」も孤独の世界で遊んでいました。

あなたも、ニーチェや荘子のように、神聖な孤独の世界に入り、優雅に暮らすことで、超人や神人のような美しい存在に生まれ変わるでしょう。

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わたしの『ツァラトゥストラ』全篇は、孤独に捧げられた熱烈な讃歌だ。
『この人を見よ』「なぜわたしはこんなに賢明なのか8」

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藐姑射(はこや)の山(神話上の山)に、神人が住んでいる。肌は氷や雪のように白く、体のしなやかさは乙女のようだ

穀物は一切食べず、ただ風を吸い露を飲み、雲気に乗り、飛竜を操って、世界の外に遊び出ていく

彼の霊妙なエネルギーが凝結すると、あらゆる物は傷病なく成長して、五穀も豊かに実るのだ。
『荘子』「逍遥遊篇」

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わたしはわたしのまわりに輪をかいて、神聖な境界線にしよう

いよいよ高くわたしが山を登るにつれて、わたしと行を共にする者はいよいよ少なくなる。

わたしはわたしの登るいよいよ神聖な山々で、一つの山脈をつくる。──
手塚富雄訳「新旧の表19」

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このような至福の我欲は、優良と粗悪についての独自のことばでおのれのありかたを守る、おのれのまわりに聖なる林苑をめぐらすように

おのれの幸福に与えたさまざまの名によって、いっさいの軽蔑すべきものを、おのれから遠ざける

それは、いっさいの臆病なもの、卑怯なものを、おのれから遠ざける。

この我欲が、粗悪という評語をくだすとき、──それはすなわち卑怯、臆病ということである──いつもくよくよし、ため息をもらし、泣き言をいう者、どんな小さい利益でも拾い集める者は、この我欲にとっては軽蔑すべきものである。
手塚富雄訳「三つの悪2」

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わたしはわたしの思想のまわりに、またわたしのことばのまわりに垣根をめぐらそう。わたしの花園に豚と酔いどれが侵入してこないように。
手塚富雄訳「三つの悪2」

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これこそ、我らの高み、我らの故郷なのだ。総ての不潔な輩とその餓(かつ)えた欲望が近づくには、余りにも高く険しい、この場所に我らは住むのだ。
小山修一訳「賎民」

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強い風の如く、我らは不潔な者を見下して生きる。鷲の隣人として、雪の隣人として、太陽の隣人として、そのように強い風は生きるのだ。
小山修一訳「賎民」

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のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。わたしは、君が毒ある蠅どもの群れに刺されているのを見る。のがれよ、強壮な風の吹くところへ。
手塚富雄訳「市場の蠅」

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のがれよ、わたしの友よ、君の孤独のなかへ。わたしは見る、君が世の有力者たちの引き起こす喧噪によって聴覚を奪われ、世の小人たちのもつ針に刺されて、責めさいなまれていることを。

森と岩とは、君といっしょに高い品位を保って沈黙することを心得ている。君は君の愛する木、あの大枝をひろげている木と、ふたたび等しくなれ。無言のまま耳を傾けて、その木は海ぎわに立っているのだ。
手塚富雄訳「市場の蠅」

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未来という木の上に、我らは我らの巣を作る。我ら孤独なる者のために、鷲の嘴(くちばし)に食べ物をくわえて運んで来させよう!
小山修一訳「賎民」

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わたしは森を愛する。都市は住むに堪えない。
手塚富雄訳「純潔」

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なぜおまえは森の中に入って行かなかったのか。それとも大地を耕したのか。海に行けば、緑なす島々がたくさんあるではないか。
森一郎訳「通り過ぎるということ」

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ツァラトゥストラは、三十歳になったとき、自分の故郷と故郷の湖を捨てて、山にはいった。

そこでかれはおのが精神の世界に遊び、孤独をたのしんで、十年間倦むことがなかった
手塚富雄訳「ツァラトゥストラの序説1」

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ツァラトゥストラはふたたび山にはいって、かれの洞窟の孤独に帰った。そして人間たちから遠ざかっていた。
手塚富雄訳「鏡を持った小児」

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病人が世間から逃れる孤独というのもあるが、それとは別に、世間という病人たちから逃げ出す孤独というのもある。
森一郎訳「オリーブ山にて」

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人生に背を向けた者の多くは、実は賤民に背を向けたのである。かれらは、泉と炎と果実の享受を賤民とともにすることを欲しなかったのである。
手塚富雄訳「賎民」

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そのわたしの様子は、耳も目も廃い、口もきけなくなった不具者に似ていた。こうしてわたしは、権力賤民、文筆賤民、愉悦賤民と交わらないようにして生きてきた。
手塚富雄訳「賎民」

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君は海に住むように孤独のうちに生きていた。そして海は静かに君を浮かべていた

ああ、君はいま陸にあがろうとするのか。ああ、君は君の身体をふたたび引きずって歩くつもりか。
手塚富雄訳「ツァラトゥストラの序説」

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自分自身に対しての極度の清潔癖が、わたしの生存の前提となった。わたしは、不潔な生活条件のもとでは命があぶない──

だから、わたしはいわば、たえず水の中で、もしくは、なにか完全に透明で光り輝いている元素の中で、泳いだり、ひたったり、ぱちゃぱちゃしている。

この潔癖のために、人との交際は、わたしに少なからぬ忍耐の試練を課するのである。
『この人を見よ』「なぜわたしはこんなに賢明なのか8」

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私はもう人間たちの息を吸い込みたくない。ああ、私がこれほど長い間、人間たちの喧騒と、ムッとする息の中で暮らしてきたとは。

おお、私のまわりの至福の静けさよ。おお、私のまわりの清らかな香りよ

おお、この静けさは、私の胸の何と深いところから清らかな息をしていることか。おお、この至福の静けさは、何とじっと聞き耳を立てていることか。
森一郎訳「帰郷」

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大いなる魂たちに、大地は今もまだ開かれている。一人きりの孤独な者たち、二人きりの孤独な者たちに、まだたくさんの居場所がある。そこには静かな海の香りがながれてくる。
佐々木中訳「新しい偶像について」

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私はふたたび一人になった。そして一人でありたいと思う。清らかな天空と広々とした海だけが、道連れだ。そしてまた、午後が私を包んでくれる。
森一郎訳「不本意な幸福」

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おお、孤独よ。あなたはわが故郷だ、孤独よ。私はあまりにも長い間、異国の荒野で荒れた生活を送ってきたので、あなたのもとに帰ってきて、涙を抑えることができない。
森一郎訳「帰郷」

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わたしの兄弟よ、わたしの涙をたずさえて、君の孤独のなかへ行け。わたしは愛する、おのれ自身を超えて創造しようとし、そのために滅びる者を。
手塚富雄訳「創造者の道」

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飢餓に苦しみながらも、それに残忍なまでに耐え、孤独でありながら、神は要らない。そのように、獅子の意志は自己自身であろうとする。

奴僕の幸福に囚われず、神々と礼拝から解放され、大胆不敵で恐ろしく、偉大なる孤独に生きる。嘘のない人物の意志とは、そのようなものだ。
小山修一訳「有名な賢者」

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大衆に憎まれている者は、犬の群れにとっての一匹狼のようだ。それが、自由なる精神、束縛嫌い、崇拝否定者、森を栖(すみか)とする者である。
小山修一訳「有名な賢者」

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孤独な者よ、君は創造者の道を行く。君は君の七つの悪魔から、一つの神をみずからのために創り出そうと欲すべきだ。
手塚富雄訳「創造者の道」

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或る自由な生き方が、偉大な魂には未だ開かれている。真に、僅かしか所有しない者は、それだけ何かに取り憑かれることもない。ささやかな貧しさに称えあれ!
小山修一訳「新しい偶像」

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【引用】
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』(中公クラシックス)Kindle版
手塚富雄訳『この人を見よ』(岩波文庫)Kindle版
小山修一訳『ツァラトゥストラはこう語った』(鳥影社)
佐々木中訳『ツァラトゥストラかく語りき』(河出文庫)Kindle版
森一郎訳『ツァラトゥストラはこう言った』(講談社学術文庫)Kindle版
池田知久訳『荘子 全現代語訳』(講談社学術文庫)Kindle版

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