ニーチェ「独自の予言的夢想と星の知らせ」
「我々は、信仰も迷信も持ち合わせていない」と胸を張る「現実的な者」に対して、ニーチェは「惨めに痩せこけて、張る胸もないではないか」と皮肉ります。
ニーチェは「神は死んだ」と宣言しましたが、それは「汝なすべし」と義務を強制してくる存在(宗教や道徳や風習)を否定したのであって、古代人が持っていた「独自の予言的夢想と星の知らせ」という素朴な信仰や神話まで否定したわけではありません。
むしろ、素朴な信仰や神話は創造活動には欠かせない豊かな世界観であるため、ニーチェはそれを大切にしました。
ニーチェや古代人は、創造性を豊かにする世界観の中に生きていましたが、現代の我々、現実主義者や科学主義者はどうでしょうか?痩せこけた世界観の中に生きてはいないでしょうか?
ニーチェは、「汝なすべし」と義務を強制するものは徹底的に否定しますが、創造活動に役立つものであるならば、占いでもスピリチュアルでも妄想でも肯定します。ニーチェは何よりも創造活動を重視したからです。
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【ニーチェの言葉】
「われわれはまったく現実的な存在である。そして信仰にも迷信にもとらわれない」そう言っておまえたちは胸を張る、──が、あいにくその胸がない。
そうだ、信ずるということが、どうしておまえたちにできよう。雑然としたまだら模様の者たちよ。──かつて信ぜられたいっさいのことの写し絵にすぎないおまえたちよ。
おまえたちは、おまえたちのことばを聞くまでもなく、そうして立っているだけで信仰の否定である。
手足をもった生身の否定である。あらゆる思想の脱臼である。信ずるにあたいせぬ者、そうわたしはおまえたちを呼ぶ。現実的な者たちよ。
おまえたちの頭のなかでは、あらゆる時代が、互いに矛盾したことをしゃべり散らしている。
しかも、どんな時代の夢と饒舌も、おまえたちの覚醒状態にくらべてみると、まだしも現実性をもっているのだ。
おまえたちは産むことができない。それゆえおまえたちには信仰が欠けている。
だが、創造せざるをえなかった者は、いつもかれ独自の予言的夢想と星の知らせをもっていたのだ。──そして信仰の力を信じていたのだ。──
おまえたちは墓掘り人で、いつも扉をなかば開いて待っているのだ。そしておまえたちの現実というのは、こうだ。「一切は滅びるにあたいする」
ああ、おまえたち不毛の者よ、なんというみじめな姿だ。肋骨もあらわなその痩せようはどうだ。
『ツァラトゥストラ』「教養の国」
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新しい諸価値を創造すること──それはまだ獅子にもできない。しかし新しい創造を目ざして自由をわがものにすること──これは獅子の力でなければできないのだ。
自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」を言うこと、わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。
『ツァラトゥストラ』「三様の変化」
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【引用】
手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』(中公クラシックス)Kindle版
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