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小話:願い

神社の真っ赤な鳥居が見えてきた。いつもは犬の散歩しかいない閑散とした境内も元旦ともなれば、新年の願いを捧げる人で賑わう。空を見上げれば、雲一つなく、新しい年に希望を託す人々の気持ちを映し出すようだった。

神社の入り口にはずらりと人が並んでいる。家族や恋人、友人と共に談笑しながら並ぶ様は有名料理店かはたまた某大型遊園地の人気アトラクションの列を髣髴させる。

「うわ、今年も混んでるね」

隣で夫が目を見張った。

「そうだね。去年もすごく並んだもんね」

と同意の言葉を述べながら、私は不思議な思いを抱いていた。一年前はこうやってこの人とこの神社に初詣に訪れることを一ミリも想定していなかった。去年は二人の関係に名前はなかったし、去年の今頃はまだ顔はおろか名前さえ知らなかった。去年のお正月にたまたま友人の知り合いとして初詣の帰りに出会っただけの人である。その後、仕事の相手先で遭遇してしまうことも、そこから二人の関係に恋人という名前が付くことも、さらには結婚することも頭の片隅にもなかった。

「去年はじめてここで会ったよな」

参拝の列の最後尾に並びながら夫が感慨深そうに言う。やはりここに来ると思い出すことは同じようだ。

「まさかあなたと結婚するとは思ってもなかった」

笑いながらさっきまで考えていたことを口に出した。去年の自分を思い出す。近くに住む友人に誘われて、初詣に訪れた。もともと地元ではないから一緒に行く友人以外誰にも会わないだろうと家の中に放り投げられていた暖かそうな服を着て、外に出た。だから友人が知っている人を見つけたと声を掛けた時はこんな気の抜けた格好で、と実は恥ずかしかったのだ。

「いや、俺はあの時から思ってた。この人とは長い付き合いになるだろうって」

夫の意外な言葉に思わず顔をまじまじと見る。こういう勘は当たるんだと得意気な夫に「そうなの」と恥ずかしくなってすぐに顔をそらした。

「もう一度逢いたいから去年は君に会った後神様にお願いしたんだ。あの子とご縁がありますようにって。恋のお守りまで買って」

それってつまり一目ぼれってことですか。かあっと頬に血が上った。この人はずっとそうだ。調子がよくて、ストレートな言葉を口にする。そういうところが好きで、居心地が良いと思ったから結婚したのだ。

「それなら私の願いも叶ったかも。去年この神社で良いご縁がありますようにって願ったから」

一昨年は散々だった。仕事は異動したばかりで分からないことが多く右往左往していた。余裕がなくなって彼氏には振られる。時間がなくて家族に当たってしまい、嫌な顔をされた。「良い年になりますように」なんて祈ったのに全く良いことがなかった。神様なんて信じないと言いながらも、去年は「良いご縁がありますように」と祈っていたことを思い出した。ついでにお守りを燃やして、燃やしたら去年の未練が消えるのかなと考えていたことも思い出した。

願いは叶う年も叶わない年もある。祈りながらも結局自分次第であると知りながら、今年の目標として自分に言い聞かせる意味も含めて、神様に祈りを捧げてしまう。

去年の願いは結果的に叶った。叶ったと思っているということは夫との出会いを「良いご縁」と感じているわけだ。我ながら恥ずかしい会話をしている。わかっているけれど、新婚だからまあいいかなんて思う。あ、夫も赤くなった。

「今年は何お願いしようね」

ふと晴れ上がった空を見上げると役目を果たしたお守りや護符が燃やされて、ひらりひらりと灰が宙を舞う。
誰かの祈りが果たされて、誰かの未練が燃え尽きて、遥か彼方へと消えていく。今年の願いもまた来年には新しい祈りとなって消えていくのだろう。

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