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モノという権威に頼らない
モノの価値とはなんだろうか。
モノは自分がお金を稼いでかったものだ。しかしある一定以上になると使い切れなくなる。それでも買い続ける。浪費家とか呼ばれようとも、稼いでいれば問題ない。
わたしが、スキーマー療法が最終フェーズにはいってきたところで、ある日都営新宿線の新宿駅にある上りのエスカレーターに乗る瞬間にあ気がついた。
「モノの権威をかりて自分の形をつくろうとしてるのではないか?」
自分自身の形がきまらないから、モノを贅肉のように体に巻き付けている。でも「モノの権威」はもういまの自分には必要ない。「モノの権威に頼る必要がなくなった」から「モノがあることが辛くなった」のだ。
いままで手をつけなかったモノをすべて処分している。本当に自分が大好きで触れるモノだけを残して。それは権威や贅肉でなくて、自分の道具でありパートナーだから。
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