僕の性別やジェンダーについて

こんにちは。
久しぶりの更新となりました。
今日も読んでくださってありがとうございます!
今回は、僕の性別やジェンダーの認識について詳しくお話ししていこうと思います。


まず、カタカナ的な説明をしたいと思います。
カタカナとはつまり、セクシャル・マイノリティの性別の種類に則った説明です。
僕も最近知って覚えたカタカナたちです。まずはそれらに当てはめて説明してみようと思います。

僕は、Xジェンダーノンバイナリーでかつジェンダーフルイドです。
Xジェンダーとは、第三の性別とも言われたりしますが、男女のどちらでもない、中性、両性、無性、不明などの総称です。
ノンバイナリーとは、男女二元論に当てはまらないということ。男か!女か!と二択を迫られても、答えはその二択にはないのです。
そして、ジェンダーフルイドとは、一定の性別に固定されず、性別にゆらぎがあるということです。人にはよると思いますが、その時、その日、その時期によって、自分の性別の感じ方や認識が変わるということです。為替相場のような変動をイメージしていただけると分かりやすいと思います。小さい波もあれば、大きい波もあります。


これを僕の言葉でまとめると、「今は僕やおれがしっくりくる、ただそれだけの話」です。
今の僕は、自分をこういうふうに認識しています。
自分の体が人間の女性である(染色体的に女性である)こと自体には違和感はないです。ただ、女性らしい体型や体のラインは嫌だと感じます。気持ち悪いと感じることもあります。
女性らしくいること、女性らしいメイクをすること、女性らしい服装をすること、そして社会的なジェンダーで女性というカテゴリーに入れられてしまうことに対して嫌悪感や拒絶があります。僕の場合、女性らしい格好をすることは、“耐え難い女装”と感じます。
しかし、だからといって男性になりたい・戻りたいわけでも、男性として扱われたいわけでもないです。
そのため、トランスジェンダー男性ではないと認識しています。
また、「じゃあ、女と男のどっちなの」という問いに対しては、どう答えていいのかわからないです。少なくとも僕の持っている“答え”はその二択には存在していません

きっと、ご自身がシスジェンダー(体の性別と心や表現する性別が一致している)で生きている人にとって、この感覚は理解し難いものだと思います。男女どちらでもないとはいったいどういうことだ、と感じるかもしれません。ある意味、僕もそう思っています。どういうことなんだ、と。それでも、僕は僕だし、その感覚は確かに存在しています。昔からこうやって生きているため、ここ数年になってやっと自分の性別やジェンダーを表現するのに近い言葉が生まれて来たな、くらいに思っています。

そして、今までの僕の人生を振り返ると、僕の性別には揺らぎがあります。今は中性的なところで比較的安定していますが、女の子に戻らなきゃ、可愛くならなきゃと思っていたこともあります。スカートを好んで履いていたり、メイクをしようと奮闘していたこともあります。大人になってからも、時期や日によって、今日は比較的に女の人だなと思う時や、今日は男の人よりだなと思う時もあります。常に一定に、一生ここ!ということがないです。この先の未来も、どうなるかはわかりません。もしかしたら、めっちゃ清楚系女子になろうとする時が来るかもしれません(笑)


また、僕が僕らしく生きていくことによって、勘違いされてしまったり、質問されることもあります。

よくされてしまう勘違いの一つとして、「僕」や「おれ」という一人称を使っているためか、トランスジェンダー男性と思われてしまうということが挙げられます。男性になりたい人なんだと思っていたと言われることもしばしばです。
しかし、今の僕は、男性になりたい、男性に戻りたい、自分は男性だ、とは全く思っていません。そのため、性自認はトランスジェンダー男性ではないです。
僕が「僕」や「おれ」という一人称を使うのは、できる限り女性らしさを自分から排除しようとした結果です。もちろん、それらが自分にとてもしっくりくるからでもあります。
だから、僕が「僕」や「おれ」を使うこと=男性として扱って欲しいという意思表示では全くないです。僕はあくまで間(はざま)にいます

また、「女の子が好きなんでしょ?」「女の子が好きなんだと思ってた!」というふうに言われることも多々あります。これはおそらく、恋愛対象である女性に好意を持ってもらうために中性的やメンズライクな格好をしている、という認識から言われることだと思います。もちろん、そういう方も沢山いるし、僕の友人や知り合いにもいます。ですが僕は違うパターンです。僕は恋愛的な目的のためではなく、あくまで、自発的かつ自然にこうなりました。自分の中だけで起こったことです。

そして悲しいことに、「ただのわがまま」や「都合がいい」というふうに言われてしまうこともあります。もちろん、ただのわがままでも都合がいいことでもないです。だとしたらこんなに苦しんでまで自分を貫き通そうとは思わないですし、もうやめています。僕の中に確かに存在する自己認識の感覚であり、心です。自分の心に嘘をついて生きるのは嫌だ。そう思って生きています。


そして、僕はどんな時でも、ありたい自分でいたいと思っています。もし、女性らしくしたいという時がきたら、そうありたいし、もし、男性になりたいと決意したら、そうしたいです。ただ、僕の未来がどうなのかは僕自身もわかりません。もしかしたら、数年後には全く違うジェンダーで生きているかもしれません。それでも、僕が僕であることに変わりはありません。その時の「こういう自分でいたい」というのを貫ける自分でいたいです。


長々と書きましたが、読んでくださってありがとうございました。
まとめると、人間の女性としての体を持っていることには違和感はないという部分はあるけれど、男女どちらにも自分のしっくりくる性別はなく、ゆらぎながら間に存在している、ということです。

「今は僕やおれがしっくりくる、ただそれだけの話」

僕の自分への認識を、少しでも齟齬なく伝えることができればと思い書きました。
読んでくださってありがとうございました!

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