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ほんとうの優しさとは

「優しさ」には

手を貸す優しさもあれば
手を貸さない優しさもあって

けれど
どうしても
手を貸す優しさの方を
選んでしまいがちだなと思う


たとえば

目の前で転んだ子供がいたとして

「泣いてないな」
「全然ケガしてないな」
「自分で起き上がれる年齢だな」

「だから、手助けしなくて大丈夫そうだな」

と判断しても

まわりに人が居た場合

「見てるだけなんてなんて、冷たい人と思われないかな」
「酷い人だと思われて、嫌われないかな」

みたいな雑念が入って

「そんなことしたくないな…」と思いながらも
つい 「大丈夫?」と声をかけて
手を貸してしまうようなことってあるなと


でも

それって
「嫌われるのが怖い!」からの不安の行動で
「好かれたい」保身ともいえて

ほんとうの意味での「優しい」行動では
1ミリもなかったりするなあと


そして
そんな「したくない」思いをしてまで声をかけたのに
思惑とは違う感情を抱かれたり
しちゃったりして


まわりからは
「あ〜 余計なことしてるな〜」とか
「良い人ぶってるのかな〜」とか

子供の方からも
「一人で立てるし」とか
「うっとおしいな」とか

思われてたりしたら
それって物凄くつらくない?(笑)


まわりの目線や感情を妄想して
「怖さ」や「不安」から動くと

「ほんとうの相手の心」から
どんどん遠ざかっていくように思う


もし、助けないことで
「ひどいな」と思われて嫌われても

考え方の違う人が離れていくのだから
むしろ自分らしく生きられる
環境つくりの一環なのではと


一人で立てるなら
それを尊重することも
立派な「優しさ」で

見守るって
我慢もいるし 距離感むずかしいし
見えにくいから 分かりやすく感謝もされないけど

ほんとうに嬉しいのは
そういう「優しさ」だと
心の底から気付き、思う


いつでも
どんな相手でも

不安から行動しない


そうすることで

心地よく 自分らしく
相手も相手らしく居られる場所が
自然と出来上がってくるから


みんなに好かれようとしないで

自分の心を擦り潰さないで

今日も笑顔の一日を

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