ぼーっとしてるくらいで、ちょうどいいかもな説
今日
ひさしぶりに梅田に行く用事があって
半月寝込んだ後なので
正直 梅田に行ける体力ギリ
くらいの状態で行ったのだけど
それで気付いたことがあって
その前に
この風邪で
動きと呼吸を連動させる大事さを知ってね
なぜなら
ほんと連動させないと動けないくらい
マジでしんどさヤバかったからなんだけど
なので
今日 梅田で歩く時も
これまでよりめっちゃ
吸うことと吐くことに意識を集中させてたの
そしたらね?
自然と
ちょっとぼーっとした状態になるというか
ちょっとした瞑想状態というか
行きたいところにフォーカスしてて
それ以外はぼんやりしてるというか
でで、
いつもなら
人混みに行くと
「うわー いろんな人の気配や念や色が
CMをザッピングしてるみたいに飛び込んできてしんどいーーー」
となるんだけど
それが一切無くてね?
しかも
人混みだと
なぜか人とぶつかりやすいというか
避けようとして同じ方向に避けちゃったり
避けたつもりなのになぜかぶつかられたり
めちゃんこしんどいのだけど
(だから着物着る、ってのもあるんだけど←着物着てるとぶつかられにくい)
それが一回も無かったの!!!(洋服なのに)
大阪梅田駅から、阪急百貨店まで移動したにも関わらず!!!
(渋谷のスクランブル交差点くらいだと思ってくだされ)
ほんと「手練れの忍びかな?」
ってゆーくらい
人の間をスルスル抜けて
高速移動が出来たんですよ
やーーー
こんなことってあるんすね!!
とゆーか
「ぼーっとしてたら人とぶつかるよ」
って言われて
「ちゃんとしなきゃ」
ってしてたけど
ちゃんとしてる方が ぶつかるやん!!!
(なんそれ! ぷんすか!!)
や、
ちゃんとする方がぶつからない人もいると思うんだけどさ
私はさ、ぼーっとしてた方が
たぶんぶつからない人なんだよ…
それでいいのだよ!!!(急なバカボンのパパ)
とね
気付いたのでシェア&覚え書きに
それとねー
それでちょっと思ったのだけど
たぶんねー
もしかしたらだけど
私にとって
この世界とか
他者とかって
3次元としてきちんと認識すると
その間の感情とか思考とか心とかも
3次元として認識してしまうのかもしれなくて
だから例えば
その痛みを体でダイレクトに感じて辛くなったり
(マジで殴られたみたいな痛みだったり、心臓を鷲掴みされてギリギリされたり)
もちろん喜びは
心をハグされたり、体から花が咲くような心地にもなれるけれど
マイナスの感情のときの疲弊感も
すんごいんだよな、と
(みんなもそーゆーのって ある?)
だから
世界も
他者も
なんなら自分も
2次元というか
ちょっとフィクション的なくらいで捉えてる方が
もしかしたら
心の距離感として
少し楽に
生きれるのかもしれないなと
なんとなく思ってみたりした夜
ほんの思いつきで
ぜんぜん確証はなくて
まだ検証中
2023/12/25
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?