協働の場づくり
職場やx(旧Twitter)をはじめ、時々起こる軋轢について考えてみた時に見えたことについて言語化していこうと思います。
1 伝わるかか、伝え方か
僕はよく
「もっと優しい言い方出来ないの?」
と職場の先輩方にたしなめられることがあります。
どうやら同僚に対する言葉に棘があるようなのです。
それは僕が
「内容が伝わる」という結果にこだわっているから
逆に相手がそれを冷たく感じる可能性があるということを考えずにものを喋っているのです。
ちなみに僕も最初からそんな端的な物言いをするようになったわけではありません。
人と関わる中で、
「理解されないなあ」という経験を繰り返す中で
だんだんと言葉が尖っていってしまいました。
同時にそれは、言葉を尖らせることを選択してきたということ
「別に自分はどう思われてもいい。ただ、自分の意見をしっかりと伝えたい。」
そう思い、周りのそう言った助言に耳を貸すことはありませんでした。
こうした思いや価値の衝突って色々な場面で起こっていることだと思います。
今で言えば
働き方を優先し、どんどんと業務改善をしていきたい人
一方、子どものためになら多少の無理をすることもいとわない人
という人たちの対立
‘当たり前’がどんどん見直されている中で
そう言った対立は容易に起きるようになっているように思います
2 “みんな”にとってより良い場とは
では、こうした対立が起きることが起きるのはどうか
僕はこのこと自体、悪いこととは思っていません。
「健全な衝突」
はチームの成長をもたらします。
ただ、あくまでそれは「健全な」場合
自分で言えば
棘のある言葉を出し続けた結果、
自分の正しさを理解させる手段にはなったとしても
実際に職場をよりよく変えることはなかなかできずにいます。
結局、一人で行うことには限度がある。誰か理解者が現れ、大きなうねりが起きるからこそ
物事を変化する力になるのだと感じたのです。
「互いが思ったことを言うことができる心地の良い環境」
そう言った場づくりが必要なのだと思いました。
ただ、そう言った環境のために何をするのか
自分が我慢すればいいのかというと
それも違う気がする
よりよい協働の場をつくっていくにはどうしたら良いのでしょうか?
3 より良い場をつくっていくためには?
先ほど、「互いが思ったことを言うことができる心地の良い環境」
が必要であると書きました。
今はもう当たり前に言われるようになった「心理的安全性」が担保された空間と言い換えてもいいのかもしれません
ただ、具体的にどうやってそういった場をつくればいいのでしょうか
僕は「対話の場」が必要なのではないかと感じています
残念ながら、今あちこちに対話という名の自分の意見を押し通すための話し合いが山のようにあると思います。
そう言った「名ばかり対話」ばかりをしていると
対話疲れを起こしてしまい、どんどんとメンバーは口を閉ざしてしまいます
そうではなくて
「相手のことを知れて面白い!」
「言葉にする中で自分の意外な一面に気づいた!!」
こうした対話
会議でもいい
ちょっとした井戸端会議でもいい
一緒に職員作業をしている時でもいい
そう言った対話を少しでも増やしていけたらと今は思っています。
4 終わりに
今回は協働の場づくりについて自分なりに言語化してみました。
あなたはよりよ協働の場とはどんなものだと思いますか?
また、そう言った場づくりのためにどんなことをすればいいと思いますか?
今日はこれでおしまい。
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