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ひとの想いが、漢字・ひらがな・カタカナを生む。

 文庫は縦。ところがwebは横。ネットサーフィンでは、おおむね横書きと、縦書きと横書きが混在しています。しかし、縦書きがここまで日本に定着したのも、いろいろな歴史的な背景を交えてピックアップします。

「縦書きも横書きも、どちらの書き方も行間に想いが宿る。」

 そんな話をお送りします。


日本にもとからあったものの、より砕けたのは漢文以降?

 発祥に関して紡いでいってもいいのでしょうが、これに関しては誰が最初だ、私だ!私だ!と不毛の議論になりそうなので取り上げませんが、日本に古来からあった大和言葉と、漢文の伝来とともに複雑に絡み合った文字は、新たな形を生み出すことになります。
 もともと、大和言葉が当たりまえだったものの‘堅苦しい’といった印象や、行政間でのやり取りや公式文章などで用いられたのでしょう。そういったことからも、大和言葉は美しい言葉ではあるものの、現代の口語とはかけ離れすぎてしまっているため、大和言葉で紡いだ言葉は、難解な言葉に受け取られかねません。

 そのため、今では口語だけとなり、大和言葉は静かに息づいてはいるものの、伝承の危機があるようです。そうして、人々に口語として親しまれる言語は、次第に増えていきカタカナにひらがな。そして漢字と別れていくことになります。
 もともと、中国から伝来してくる形になった‘漢文’は、‘縦書き’という印象が強いのですが、そんな中国人でも横書きはするものです。ただし…右から左に向けてという、今の左から右とは反対になります。

 もともと、右利きの人が筆を持ち漢文を書く場合、右から左へ書いた方が効率的でもあります。そして、漢文が伝わってきたときに、日本でもその見本にならい右から左に書いていたこともあります。
 その書き方の流れは、いつしか左から右へと変わり、今の横書きへと定着していくことになりました。そんな漢文は、もともとあった大和言葉と出会い、まじりあっていきますが共に‘漢字’を使います。

 そのため、女性同士の間でも‘漢字’を使ってやり取りするのが普通になっていきます。それはもう、恋文を書くときでも同様に漢字を用いて伝えることになりました。しかし、その思いはなかなか伝わりにくい可能性があります。
 それでも漢文で、物語を紡ぐこと自体はできましたし、漢文を使った書籍も多く刊行されています。しかし、そんな中でも変化が訪れていくことになります。それは‘文学’が流行りだしたのでしょう。漢文に触れ思いを伝えるために漢字を使っていたものの、女性たちは、どうしてもその想いを漢字に載せきることができませんでした。

 そこで生まれたのが‘ひらがな’です。
 これは、平安時代の女性がなんと、恋文。今でいうところのラブレターですね。それを紡ぐために‘ひらがな’を考え出しました。内に秘めた想いを言葉にのせて、恋文として相手に伝えるのは同じですが、それが‘ひらがな’になっただけで、ずいぶん柔和な印象を受けます。
 こうして記事を書いていても、漢字だけよりは、ひらがなを用いたほうが感情が伝わりやすいというものです。まして、恋文を綴るために‘ひらがな’を考案したというのが、何ともロマンチックですね。

 そんな縦書きも、いつしか横書きも伝わってきたことで、また新たな変化を迎えます。


技術の発展が、新たな出会いを生み、言葉すら生んでいく…

 漢文文化を受け入れた日本人は、いつしか科学に化学。当時は蘭学という別れる前の大本の呼び方をしていました。蘭学‘蘭’の文字から察するように、オランダからの伝わってきたのは‘横書き’でした。それも右から左…ではなく、左から右。
 蘭学が入ってきたことにより、もともと日本国内で右から左の漢文の綴りが残っていたものの、浸透していくうちに左から右と右から左が混在するようになっていきます。そして、政府が動くことになり、左から右へということになりました。

 そして、何気に取り上げませんでしたが、カタカナに関してはネタ的なものがあります。それは、仏教の僧侶が漢文を学ぶためにカナを振ったのが‘カタカナ’の始まりというなんとも、あっさりとした誕生のいわれです。
 そんなカタカナ交え、蘭学が入ってきたこの段階で、日本ではすでに‘漢字’に‘ひらがな’と‘カタカナ’が奇妙な共存を繰り広げています。それぞれの言葉は、互いに干渉することはなく、奇妙な均衡を保ちながら共存を始めていって現在へとつながっています。

 ここまで共通しているのが、人々に合わせていろいろと変化を生んできた言葉は、奇妙な共存をすることによって、互いに干渉することなくお互いに補いながらも、今へとつながっています。
 その言葉の裏側には、筆者の想いを伝えるために…はたまた、業務連絡を伝えるために進化していった日本語は、世界的に見ても稀な‘3つ’の言語の形があります。まして、その形の数だけ感じる印象もついてくるため、物語を紡ぐのには最高の言葉でもあります。


想いの数だけ、言葉の派生が生まれていく。

 漢文から縦書き、そのうえ蘭学という、多種多様の新たなことに触れ合いながら‘日本語’はこの‘漢字’‘ひらがな’‘カタカナ’の3つになり、今の生活を形作っています。そんな世界的にも例を見ない難易度の日本語が生まれてきました。
 言葉を使う人に合わせて、言葉は変化するというのもあります。恋文を伝えるためにひらがなが生まれたように、カタカナも漢字の読み方をしっかりと覚えるためにと、使う人の想いを叶えるために言葉は変化してきています。

 これからの未来は、どんな形。どんな形状へと変化していくのでしょうか。楽しみではありますね。多くの言語が世界中で飛び交っています。そんな中でも、一番難しい言語をつかえているのですから、ほかの言語も…と、この話は別の日にお話ししましょう。
 それでは、最後まで読んでいただき。ありがとうございました(`・ω・´)ゞ

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