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スタート・リスタート・始まりは単なる始まりでしかない。

リスタート

音声配信を、復活させた。
noteを、復活させた。
YouTubeを、復活させた。
インスタをちゃんとしようかなと思った。
Twitterも頑張ってみようかなと思った。

その結果、すごくよく分かったことがある。


何かをやる、ということは、
続けることで初めて、
試行錯誤ができるようになるんだ、と。

なんてこったい

始めることは簡単。
続けるのがたまらなく苦手だ。

少しやっただけで、
すぐにやめてしまう。

あれも、これも、それも、どれも、
しばらくは続けるけれど、またすぐに止まる。

そしてまた、
こうやってリスタートする。
そしてまた、止まるのだ。

どれだけ同じことを繰り返すのだろう。

そう思うと、
ちょっと自分が嫌になる。


続けていない分、
試行錯誤ができていない。

どうしたら、もっと研ぎ澄ました言葉になるか。
どうしたら、感性にフィットした写真になるか。
どうしたら、おもしろくてためになる動画になるか。

続けて初めて、試行錯誤ができる。


始めて、
やって、
止まって、
終わる。

これだと、褒めるべきは、
単に始めた、ってことだけだ。

惰性で続けても、
意味はあるけど、意味がない。


もちろん、
始めることには意味があるし、
惰性でも、続けることには意味がある。

それでいいじゃない?
それがいいじゃない!という考え方は
今まで採用し続けてきたから今回はNG!


それが楽しいならそれでいいけれど、
あなたが本当にやりたいことは、何?

自問する。

何が続いてる?


そんな中で唯一続いているのは、
心と声の研究で、
今の仕事は、ずっと、毎日、考え続けている。


仕事の内容ももちろんのこと、


どうやって伝えていくか、
どうやって広めていくか、
どうやって形を作っていくか、
どうやって会社をやっていくか、

ずっと、毎日、私の中にある。


なのに、
継続による試行錯誤が足りていないことを、
今これを書きながら、ズキズキと感じている。

あう。
痛い。

とても痛い。
痛いぞ。
うん。痛い。

何度もくる気付き


最近もあったのだけれど、
自分の中に大きな変化が来るタイミング、というのが、
年に1回ほどくる。

ここ1カ月の中での、
私の中の変化は、とてつもなく大きい。

こんなとき、
これまでの自分の狭量に驚く。

私はなんて小さいものの見方をしていたのだろう。
私は何をやってきていたのだろう。

そう思うとともに、
これから先の基盤が育っていく感覚が嬉しい。


ただ、ここで言いたいのは、
そんな気付きだって、
形にしていかないと、世の中ではないものと同じってこと。


悠貴よ。
気付きはいいが、形にせよ。

今のそれ、あなたはまだ試行錯誤を始めてさえいない。

さいごに

このnoteを、
これまで通り、ノウハウや、
ためになることを発信していこうと思っていたけれど、やめることにした。

自分の内側をつらつらと書いていく。


リスタートはいいけれど、
続けて、試行錯誤していこうじゃないか、悠貴よ。

ま、これもまた人生。
自分で選びなさい。


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