見出し画像

挫折を味わった就職活動

大手製薬会社を中心に就職活動行い、内定をもらったのは地元企業ということで受けた中堅メーカーの1社のみだった。

私が就職活動を始めたのは4年(6年制)秋ごろだった。

MRを目指す同級生は夏のインターンに行っていたので私は焦った。MRになる事しか考えてないのに、なんでこんな行動できていなかったんだろうと。

某外資系メーカーが行う、説明会のようなものに参加し、MRを目指す多くの就活生と出会った。

そこで私はさらに焦った。やはりみんな本格的に活動していた。

既にインターンを終えている企業も多く、秋時点でインターンを行っている企業に応募するが、ことごとく予選落ち。

そうこうしていると、12月となり就職活動が解禁した。一番最初に待っていたのは、第一志望の外資系メーカーのエントリーシートの提出だった。もともと文章力がなかった私はエントリーシートを作ることにとても時間がかかった。伝える内容も相手にすごいと思われなきゃとか、こういう人を雇いたいって思われなきゃとか、美談を使えなきゃいけないと思っていた。

第一志望のエントリーシートの結果が返ってきた。


見事に不合格だった。

初っ端で第一志望に落ちた私は、一瞬どうしていいかわからなかった。ただどうしてもMRになりたい気持ちは変わらなかった。

その後は、外資系企業のインターンの本戦にも参加することができ、苦手なエントリーシート作りも、先輩や仲間にアドバイスをもらうことである程度まとまった文章を作れるようになった。

ときには学生を応援する就活支援の道場みたいなとこにも足を運んだ。

そうするとエントリシートが通過する企業も増えてきた。

ここで新たな試練が訪れた。

SPI試験だ。

こういう一般教養の瞬時に判別して答えるような試験が大の苦手だった。特に英語、、全くわからなかった。

すきま時間で勉強するが、試験センターにいっても一向に解けている感じがしなかった。

まぁとにもかくにも、大手企業も含め面接やグループディスカッションに受かる企業が10社以上はあった。

グループディスカッションは得意だった。みんなの意見をまとめたりとか、話の展開をリードして自分の意見を加える。時には話していない人から意見を聞きだす。

これはいまの会議でも役に立っている。

紆余曲折があり、最終面接 3社残った。

日本一の内資系企業、眼科中心の内資系企業、そして、地元企業の中堅企業だった。

日本一の内資系企業に受かる気まんまんで、面接に臨んだ。

あなたはうちの企業を第一志望って言ってくれてるけど、面接を受ける日付が遅かったのはなんでですか?4月2日からやってますよ。

第一志望だったら、もっと早く受けるんじゃないですか?

この質問に凍りついた。確かに当時の第一志望は違った。そこは落ちた。そんなことが頭をよぎった。変な言い訳しか出てこなかった。

私が出した答えは、
その日は学校の身体測定を受けてまして、研究も忙しくてなかなか大阪まで来れなかったんです。

最悪な回答だ。

実際は別会社の面接を受けていた。

嘘をついてしまったことで、その後の面接はガタガタ。後日お祈りメールが届いた。

その後の就活はあまり記憶がない。そもそもエントリーシートの内容も、自分が誇りを持って話せる内容でもなかった。就活用に事実を美化した話。そんな後ろめたさがあった。

他の中堅企業を受けるかと思いながら、第二の就職活動を始めようと思ったら、電話かかってきた。

ぜひあなたに私たちの企業に来ていただければと思います。地元企業の中堅製薬メーカーからだった。

絶望していた私にとっては、とても嬉しい電話だった。確かにそこの企業の面接では、学生時代にがんばったことなど私が美化して話したくなかったエピソードを聞かれなかった。ただなんでMRになりたいかだけを本心で熱意を持って話した。そこが相手に伝わったんだと思われる。

就職活動から学んだ経験は、自分に素直に、相手には誠実に真実を伝える。これが信頼を得るために必要な基本であること。

そのメーカーでどのように働いたか、どんな成果を出したかについてまた今度書きたいと思います。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?