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手作業の科学|短編小説

「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。

 声の主は俺のすぐ隣にいる。勘弁してほしいのが正直な思いだった。

 残っている豆科のサンプルがあと三つ、白い机の上に並んでいる。月面にあるこの研究施設内で、在庫数がほんのわずかとなってしまった品種だ。他の言葉で言い表すなら、この宇宙においての絶滅危惧種の一つ。
 隣で視察している声の主は、俺の直属の上司。数々ある研究局の中で、植物全般を担当している植物局の局長だ。無茶振りをすることが大好きな人で、俺を含めた色んな部長たちが頭をよく抱えている。そして、今日は俺が貧乏くじを引いた。

「局長、もう七回も失敗してるんですよ。流石にもう別の部長に渡すか、医療局の協力を仰いだほうがーー」
「ダメですよ!これは、植物局に所属する者として、必要となる技術ですよ!七回も失敗したということは、ここでなんとしてでも、できるようになってもらわないといけません!」

 失敗してしまった内容。それは、この丸い形をした豆ざやの解体だ。この研究施設内に存在する他の豆科なら、基本的に解体する必要が無いのだが、この品種はそうもいかない。まず、これはさやが食べられない種類。薄い茶色のこれは少し硬く、人体に大きな害をもたらさないが、食用には向かない。中にある豆は、いわば実にあたる部分。これもまあまあ硬いけど、逆に食べられる。むしろ、人体にとって有益な物質がたくさん入っている。
 今、俺に与えられている任務は、この栄養満点な中身を無事に取り出すこと。これが不思議なくらい難しい。

「それに、この殻と実を粉砕せずに済む、ちょうどいい力量を持ってる人は、うちの局ではヒラノ君くらいしかいないんだよ!君はいわば、植物局の希望の星!わかるかい?」

 そう。難しいのは、硬すぎるからとか、そういうことではない。

 この品種は、かつて地球で流通していたもの。大きな自然災害が起こり、先祖たちは月面へと避難した。あれから約百年の時が過ぎて、技術的にも文化的にも、生物学的にも人類は変わった。
 姿形は、まったくもって変わっていない。劇的な改造は技術的に可能だけど、規律違反になる。単純に、俺たちの肉体は、先祖よりも頑丈で強くなってしまったんだ。まあ、俺はあまり恩恵を受けられなかった方らしいけど。個体差には敵わん。

 結論としては、百年前を生きていた豆科の品種は、今の人類にとって少し脆い。

 なので、今の平均よりも少し弱い俺に、解体の話が回ってきたわけだ。それでも七回は粉砕してしまっているから、その脆さ具合がよくわかる。いや、人体の変化具合と言った方が正しいのか?とにかく、力の調整に関しては、医療局の人間の方が優れているはずなので、そっちに早く回してほしいところではある。
 しかし、局長はまだ横で目をキラキラさせている。能天気なのか、なんなのか。そもそも、希望の星とか、そういう大袈裟なフレーズを使って欲しくないな。
 俺自身の力加減は改善されているけど、無事に中身を取り出せるまで練習できるほどのサンプル数がない。在庫から引っ張り出された十個のサンプル。十個だけでも贅沢な方だ。
 この状況は、植物の研究者としては、少し落ち込んでしまう。

 こういうときは、一息つくしかない。

「局長、ちょっと休憩にしませんか?」

 少し興が冷めた感じに、眉尻を下げる局長。でも、上の立場を続けているだけのことはあって、ちゃんと気分転換の重要さをご存知のようだ。俺たちは、文化局の食事場へと向かった。

ーーー

「あ〜あ、インゲンとかみたいに、柔軟性があったら良かったんですけどね。やりようがあって」
「本当、本当。豆科でも木の実と似ている感じがしたから、楽勝だと思っていたんだけどね〜」

 たくさんの白衣を着た人々が集まる食事場。子どもたちもはしゃいで回っている。どの時代、どの場においても、食というものはやはり欠かせないのだと再認識させられる。
 俺は黒の珈琲を。局長は芋由来の黒い玉が入った、甘いお茶飲料を頼んだ。俺だったら胃もたれしそうなものを、局長は平気で食す。どっちの方が年下だっけか。

「百年前の木の実は大体、復活させましたもんね。今じゃ、食事場ここで普通に見かけます」

 例えば、あそこで立っている子供が持っている、白いクリームの物質を積み上げたような甘味。その上にまぶせられた薄茶色の粉は、粉砕された一種の木の実だ。
 甥のマコトも、この前に木の実が詰まった携帯食みたいなものを見せてくれたっけな。子供の学習場で流行っているとかなんとか。この間は、発酵した大豆を用いた汁物が流行っていたはずなのに。関心が移る速度の高さよ。
 ……ん、大豆?

「……局長、大豆もまあまあな硬さですよね?」
「え、大豆?」
「はい、貯種室で見つかった時は、乾燥している状態で硬かったと聞いてるんですが」
「ああ、確かにあれなら硬い方に分類されるけど、それがどうかしたの?」
「いえ、あれも似た感じの硬さなのに、どうやって解体したのか気になりまして」
「えーっと、あれは水に戻す調理方法が文献に残っていたんだ。だから、水に浸して柔らかくしてから、解体したんじゃなかったかな?あ、茹でた方が早く柔らかくなるってあった気もする!」

 すごくシンプルな方法だ。先祖様らしいやり方。
 シンプルなら、応用しやすいのでは?

「それ、この品種でもできないんですか?」

 少し間を置いてから、局長はハッとした表情を見せた。なんか、わざとらしい。

「なるほどね!うんうん、理論上は可能なんじゃないかな?それらしい文献は残ってないけど、試してみる価値はありそうだね!」

 茶番めいた局長の反応はともかく。そう、物事の答えは、案外単純な場合がある。
 研究者という身でありながら、忘れてしまうことがある。百年経っても、人は忘れる生き物のようだ。
 局長はまた目をキラキラさせた。本当に、この人は若いな。

ーーー

 植物局内にある研究室へと戻り、机に置きっぱなしにしていた、三つのサンプルとまた向き合う。一つを手に取り、沸騰したお湯が入った鍋の中へと入れる。

「奇しくも、文化局にいた時に思いついて良かったですね。鍋と携帯コンロをすぐに借りれて」
「だね〜。昔の遺物を再現したプロトタイプたち。絶対に壊さないように、って念を押されて怖かったけどね」
「そりゃあ、頑張って再現して作ったものですからね」

 俺も、せっかく生き返らせた百年前の花を摘まれたりしたら、ショックで寝込む自信がある。
 
 あとは、文献にあった時間を参考にして待つだけだ。

「……それにしても、この手間が全部、標本にするためだけのものって。なかなか割に合わない気がします。施設内に使える機械とか、いくらでもあったでしょうに。手でやることにこだわりたかったのなら、尚更のこと、医療局の人にやってもらった方が良かったと思います」

 これが、局長の無茶振りの本質。昔のやり方で解決策を考えさせられること。絶対にこのやり方も知っていたはずなのに、あえて人の手でやることに集中させたんだろうなあ。頭の体操と言えば、聞こえはいいかもしれないけど。おまけに他の局に直接的に助けてもらってはいけないなんて。
 局長はにへらと笑った。ちょっと申し訳ないけど、楽しんでいる時の笑い方だ。

「まあまあ。今の僕たちは、もっといろんなことがわかって、もっといろんなことができるようになったけどさ。昔の手間がかかるやり方を知って体験する、っていうのも、いい実験工程だと思わない?自然と先祖への尊敬を込めた手作業だよ!」
「ええ?非効率すぎて、他の部長たちが毎度引いてますよ。なんのために科学がここまで進化したんだ、って」
「逆にありがたみがわかるってもんだよね〜。僕のお気に入りのヒラノくんなら、分かってくれるでしょう?」
「また調子のいいことを。あと、勝手にお気に入りにしないでください、面倒そうなので」
「ひどおい、僕のこと、面倒な人だと思ってるんだ!」
「思ってるのは俺だけじゃないと思いますよ」
「抉ってきた!」

 でも、局長が言おうとしていることは分からなくもない気がする。
 医療局は、強く未来を見据えて日々研究している。逆に文化局は、過去を理解することに注力している。一方、俺たち植物局と、姉妹局になる動物局はそうでもない。現状維持に対する意識の方が強い。まあ、研究施設全体の方針だから、っていうのもあるかもしれないけど。
 一見するとバラバラでも、考えてみれば、時間の流れは全部繋がっているものなので。
 過去を知らずして、現状を知り保ち、未来を求めるということは可能なのか。どれか一つでも欠けたらマズイ。それはきっと、どの局にとっても同じこと。振り返り、今を見て、先を目指す。その繰り返しを、我々研究者は続けなきゃいけないのかもしれない。

 まあ、あとは施設が色々と整っているため、我々には時間が有り余ってる。
 これくらいの無駄を過ごすことは、悪いことではないのだと思う。


ーーー

 
 文献通りの時間が過ぎ、携帯コンロの火を止めた。
 薄手の耐熱グローブをつけて、鍋からサンプルを取り出す。八度目の解体を試みた。ゆっくり、ゆっくりと、サンプルを掴んでいる指先に力を込めていく。
 びきっ、と殻にヒビが入った。少しずつ広がっていき、やがて弾力を帯びて、ヒビの広がりが止まった。すでに今までと違う。ヒビに爪先を当てて、めくるように殻を取ろうと試みる。ヒビはまた広がっていき、中身が見えてきた。だけど油断ならない。ゆっくり、ゆっくりと、局長が見ている中で解体作業を慎重に進める。

 止まっていた息を一気に吐き出した。
 バラバラになった殻の山の中、楕円形のような形をした中身が二つ。ころりと並んでいる。

「やった!できた、できたよヒラノくん!すごい!やはり君は植物局の希望の星だ!」
「大袈裟ですよ、局長」

 でも、確かに達成感はある。百年前の木を一種類、自分の監督下で復活できた時くらいの達成感。やったことはめちゃくちゃ地味なのに。

「どうだい?地道な作業を行った感想は」

 椅子にもたれかかった俺の顔を、上から覗き込む局長。子供みたいだ。

「うーん。とりあえず、科学のありがたみがわかる作業でしたね」

 にっこりと笑う局長は実に満足そうだ。
 ああ、一仕事終えた後は部屋でくつろぎたい。まずは成功したものを保存部に渡してーー

「あ、残り二つも同じようによろしくね!形は大体一緒だと思うけど、サイズの個体差とかあるから!」

 と、思ったが。まだ無茶振りはもう少し続くそうだ。

「ほら、ありがたみが分かるチャンスが二回も残ってるよ!」
「勘弁してくださいよ、本当に」

 俺は背中を丸めながら、鍋をまた手に取って、水を汲みに向かった。
 今日も研究施設は平和だ。



あとがき

 さなコン3のお題をお借りして書いたお話でした。SFを掠ることもできなかった気がしたので、おとなしくnoteで普通に公開することにしました。

 世界観と語り手は、過去作「白い玩具箱」と未完作「ナナクサソウの再現」と同じとなっております。前々から「白い玩具箱」を土台に、長編化しようとしていた時期があったのですが、中々まとまらず。今はこうして、チャンスがある時に掌編・短編を書いて広げております。

 あるものはあるうちに。振り返りながら、前を向く。
 時間の流れは繋がっている。
 呪いとも言えるような、励ましとも思えるような。

 まあ、登場人物たちのように、まったりしながらも、ちゃんとしていきたいなと思います。

 もし、最後までお読みくださったのなら、本当にありがとうございます(内容的には緩急のないものなので、気に入っていただけたかは分かりませんが……)。良い日・夜をお過ごしくださいまし。森でした。